◆ 後遺症 ◆
骨髄移植から4ヶ月くらい経ったある日の事だった。「生理が来た?おかしいな?」と言う主治医の言葉に私は疑問を抱いた。その日のうちに産婦人科の診察を受ける事になり、そこで私は衝撃な事実を聞かされた。「子供ができないから生理がくるのはおかしいのよね。」当然のように話した婦人科の先生は、凍り付いた私の顔を見てハッとした。「もしかして聞いてなかった?」うなずく事しかできなかった私に先生は、放射線治療を受けたダメージで卵巣が正常に働かない事ホルモンバランスが正常ではない事など、事細かく説明してくれた。17歳で若いという事で可能性は0%ではないから「治療をしてみる価値はある」と言われ婦人科での治療も始まった。その日、家に帰った私はお母さんの顔を見た瞬間に婦人科でもらった薬を投げ付け「どうして子供の事を話してくれなかったの?」「そんな事聞いてない!」私の人生なのに勝手に決めないで!」と、ヒステリックに怒鳴り散らした。私の顔を見られず、問い掛ける言葉にうなずく事しか出来ないお母さんの体が震えてた。今更何を言ってもどうにもならない事ぐらいわかってるのに....
正直、自分がこの立場に立たされるまでは「子供を生む」とか「母親になる」とか、そんな事を真剣に考えた事がなかった。それは女として生まれて来たのだから当たり前の事だと思ってたから。この時、お兄ちゃんが骨髄移植を最後まで反対してた理由がわかった。3日くらい、お母さんとは口も聞かずにふさぎ込んでいた。反抗してるとかじゃなく、一人で考えたかった。どうしてこうなってしまうのだろうか?病気をしてから、普通の事が普通でなくなって行く。「元気になって良かったね」なんて言葉も素直に受け止められない。きれいごとなんて通用しない。誰も私の気持ちなんてわかってもらえない....無口になった私を見るお母さんの目が痛かった。この時、母親になる夢を失った私より、母親になる喜びや悲しみを知っているお母さんの方が辛かったのかもしれない。そんな時、入院中にもらった友達の手紙や自分で書いた日記などを読み返した。あの時はただ「生きて行きたい」と思ってた。このままじゃ終われない、死にたくない。明日の事なんて誰にもわからない。どんなに悩んでも、自分を追い詰めても、おかあさんを責めても、この事実は変わらない。「生きて行きたい」と頑張って辛い治療に耐えて来たんだから、それを受け止めるしかない。無気力な私の存在はきっと、お母さんを責め続けるだろう。そんな私がどうして幸せになれる?そんな私だから母親になる資格を失ったのかもしれない。そう考える事で少し気が楽になった。
私だったら大丈夫。「幸せはコウノトリが運んでくれる」バカみたい?それでもいい。私が母親になれる人間になったらきっと....
「母親になる夢」その夢が遠ければ遠いほど頑張れる。
医学的に不可能であったとしても、「奇跡」を信じたい。自分がその「奇跡」を起こせる人間であると信じたいから.....