架橋完成の陰で・・・(1)

 橋と平行するフェリー航路を行く

97.08.20


 平成8年10月、淡路島と四国を結ぶフェリー航路が正式に廃止された。
 大鳴門橋開通前、淡路島の阿那賀と鳴門市の亀浦を結ぶ淡路フェリーボート鳴門線は、一日36往復、24時間運航でトラックや乗用車を運び続ける南淡路の大動脈だった。乗船時間20分、両港の距離は、わずか5キロしか離れていない。お盆の繁忙期、乗用車の乗船待ちが6時間を越え、炎天下の阿那賀港でひたすら順番がくるのを待ち続けたこともあった。

(写真1 昭和59年当時、淡路フェリー鳴門線に就航していた茂鶴丸。97年7月大磯港にて撮影)

 昭和60年6月8日、大鳴門橋の開通で、平行するフェリー航路は、一日7往復、最終的には3往復にまで減少した。車両甲板2層積み1500トンもあった船(写真1参照)は、乗用車が3〜4台しか乗せられない300トンの船(写真2)に変わってしまった。しかし、便数が激減しても航路そのものは残ってくれた。四国に帰省するときに、大鳴門橋を渡らず、わざわざフェリーに乗ったこともあった。大潮の日には、フェリーの甲板から「うずしお」を見ることができた。ただ小型フェリーゆえ、波しぶきが甲板に当たったときに、クルマが海水をかぶってしまうのが玉にきずだった(笑)

(写真2 大鳴門橋開通後に就航した第一姫島丸)

(写真3 大鳴門橋 船上より撮影)

(写真2〜3 93年8月撮影)

 大鳴門橋を渡れない自転車や原付バイクの利用者は、淡路と四国を結ぶ唯一の交通手段だったが、平成7年10月運航休止となってしまい、淡路島から四国に直接渡ることができなくなってしまった。

(写真4 可動橋の撤去された淡路島阿那賀港桟橋) 

 現在、阿那賀港と亀浦港は可動橋も撤去され、事務所には航路廃止を告げる小さな張り紙が張られているだけという寂しい光景しか残されていない。当時、数十台ものトラックが並んでいた乗船待ちレーンには雑草が生えていた。


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