テーハーミング!


 昨年末から、新潟にいる父の具合が思わしくなくて、東京-新潟の間を行き来する忙しさにとりまぎれ、いくつか書いたものもアップロードすることなくホームページの更新をしないままにいつの間にか半年が過ぎた。その間に父が亡くなり、何年も待っていたワールドカップがやって来て、それも去っていった。

 楽しみにしていたヨーロッパのチームがつぎつぎと消えて行くさみしさも手伝って、ぼくは韓国の躍進を素直にはよろこべなかった。だが、この気持ちをなんとか克服したいと思った。そこで、6月22日の韓国-スペイン戦は土曜日の午後だったから韓国料理屋のど真ん中でゲームを見てみようと、打合せのあとで、ぼくは新大久保の駅をおりてひとりで新宿の職安通りに行った。そうする気になったのは、数日前の早朝の出来事があったからだ。
 日本がトルコに敗れ、韓国がイタリアに勝った翌日の早朝、プリンターのインクを切らしたので職安通りのドンキホーテへ買いに行った。5:30ころの町には、あちらこちらでまだ興奮が続いていた。歩道の向こうからやってきたやつが近づいてくるなりぼくを抱きしめて、なんだか叫んでよろこびを表した。前の夜に日本が負けて韓国が勝ってからずっとぼくは悔しいヒトだったのに、このときは本気でおめでとうという気になることがわかった。だから、もう一度赤い声援のさなかにひたってみようと思ったのだ。

 新宿に着いた頃には、すでにゲームが始まっていたので、テレビのある店はどこも人が道路にこぼれていて、とても韓国料理店に入るどころではない。1階のテナントのいなくなった小さなビルでは、奥にテレビを置いて人が密集している。さらに歩道をはみ出し、路上駐車の車のあいだの隙間にも人が詰まって背伸びしている。わずかこの2,3年のあいだに、職安通りには韓国・朝鮮のみせが一杯になったけれど、これまではアジアの喧噪やエネルギーや力強さが欠けていたことが、ぼくはちょっと不満だった。「これがおれたちの世界なんだ」と、日本人に対して本気で自分たちを主張しているところが感じられなかったのだ。ところが、どこかに隠されていた秘密の筺の蓋が一挙にひらいたかのように、町中に満ちている。

 車道から背伸びして画面を見つめる人間のひとりに、ぼくも加わっているうちに、しばらくするとふくらはぎが疲れてきたので他所をみてまわることにした。細い道に面した韓国料理屋が店の前の道に向けてテレビを置いているところを見つけた。道を挟んだ向かいの3台分ほどの駐車場を空けて、地面に腰を下ろしている人たちが2、30人ほどいたので、ぼくはそこに加わることにしてコンクリートの上に陣取った。

 韓国料理屋には、道にそって奥行き1Eほどのテラスがあって、そこに小さなテーブルを間に向き合って椅子が2脚。テレビは、それに並んで置いてあるのだった。席に座っていた女の客からは、コーナーキックからゴールを狙うくらいに角度がないのだから、自分たちにはほとんど見えるはずがない。だから、テレビをよそにチヂミの皿とビールのジョッキを空にしてゆく。まわりの人たちやテレビから声援があがると、その時だけ身を乗り出し振り向いてなにやら叫ぶのだった。30人は地べたに座って、彼女のすぐうしろの画面と、ときに2人を注視しているというのに、まったくたくましいものだ。
 ぼくは一番後ろの隙間に腰をおろしてビルのシャッターに寄りかかっていた。パワーブックのディスプレイより小さなテレビを5,6mはなれて見るのだから、ゴールラインを割ったかどうかなど、審判さえわからないのに、ぼくに見えるはずがない。おおよそのゲームの運びを見ているだけだったから、2つの怪しいジャッジも、それと気付くことができなかった。ジベタリアンの一同が、ときどき右手を挙げては「ホーンミョンボ!」とか「アーンジョンファン!」と声をそろえて叫ぶのは分かるけれど、どうもわからないのがあった。繰り返して何度も聞くうちに、「テーハーミング!」というのが「大韓民国!」なのだと、ようやく理解したのは、とうとうスペインにまで韓国が勝ってしまったときだった。

 ゲームが終わると、あちこちの店から出てきた人たちの紅いTシャツと「テーハーミング!」で職安通りは埋められた。イタリアもポルトガルもスペインも、好きなチームだったからだろうが、ぼくは「おめでとう」という気にはなっても、よろこびを分かち合う気持ちにはなれず、うらやましい悔しいと思い続けたから、そういう自分の狭量を気に入らなかった。

 翌々日、相談したいこともあったので、青山で骨董を営む友人を訪ねた。李鳳来さんはぼくと同世代の人で、李朝のものを専門に扱っている。李さんと話したら、彼らのよろこびの一部を共有する気分になって、少し前に進むだろうと思ったのだ。 たしかにそのとおりになったのだが、それでも、店にある率直で力強く知的な器や家具と、ぼくの記憶に残された赤い応援の不似合いが気になった。
 数日してその理由がわかる気がした。応援の言葉が、たとえば「コリア!」でなくて、なぜ「テーハーミング!」だったのだろうかという疑問が湧いたからだ。明らかにこれは北を除外している。そのことを、日本のマスコミも含めて、だれも不思議だと言わなかったのはなぜなんだろう。もし、あれが「テーハーミング!」でなかったら、三位決定戦の日に黄海上での銃撃戦はなかったのかもしれない。「テーハーミング!」がチームや選手でなく地域でもない、国家を応援しているということが、マスゲームや人文字がそうであるように排他的な一体感をぼくに感じさせたのだ。

 とはいえ、この機会に互いの肯定的なありようの一部分を、実感として貯えることができた。李さんのギャラリー「梨洞」の本棚にならぶ背表紙のひとつに「海東」とういことばがあったのを、寡聞にしてぼくは意味を知らなかった。李さんに尋ねると朝鮮半島を指す古くからの呼称なのだという。美しいことばだと思った。FAR EASTということばは、ここが世界の東の果てだと思えるのでとても好きなのに、「米軍」と対になっているような「極東」という翻訳語をぼくは好きになれない。
「海東」のようなうつくしい名を、日本を含めたこの東アジアに使えないものかと思う。

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