窓辺のライトハウス:ヒューストン便り1


友人にしてクライアントである丹下誓氏は石油精製プラントなどを作るために何度か海外で勤務した。
去年ヒューストンに転勤したので、 すみかについてのリポートを依頼した。

 ヒューストンに来て、そのだだっ広い平坦さに呆れております。
住まいはこちらで言うハイライズ(所謂マンション)の11階になりました。この辺りでは高層の建物は数の上では希少です。土地は安いし、平均以上の収入のあるアメリカ人は庭付きの家にゆったり暮らしております。平屋も沢山あります。
しかし我々の住むマンションはセキュリティの面では最高なので、老人の夫婦二人と言う住民が非常に多いようです。雰囲気は高級ですが、活力はありません。サイズは、2寝室にリビングダイニング、キッチンとバスルーム、トイレが2つあります。寝室の一つは書斎になりました。窓に向って机を配置し、窓枠に灯台のミニチュアを三つ並べました。日本から到着した荷物の底に転がって居た観光地のミヤゲです。灯台は英語でライトハウス。
本物のライトハウスは明確な機能を持った、きわめて特殊な居住空間と言えるでしょう。そこに暮らして住民はいったいどんな夢を見るものか。たいていは人里離れた岬の突端か、潮の満ち干に翻弄される岩礁の上に建てられていますね。その孤独な風景にロマンを感じて各所のライトハウスを巡礼する人達がいるようです。私が年末に購入した21世紀(!)カレンダーは、毎月が違った自然の違った風景の中に立つライトハウスの写真です。このシリーズは、愛らしい動物やきれいな花のシリーズとはちょっとニュアンスの異なる一つのカテゴリーを形成しています。ニューヨーク摩天楼の白黒写真シリーズも魅力的ですが、天上へ向って伸びる事によって地上の暴力は去勢されています。一方、ライトハウスは直接自然に接触し、たいへん倫理的ではありますが、そのテイストは独特です。
春から初夏はテキサスでも花粉症の季節ですが、トイレにへたり込んで涙目をぬぐっていると、壁にピンアップされたカレンダーが鏡の中で霞んで見えます。5月は、荒れ狂うブルターニュの沖合いに立つライトハウスの俯瞰ショット。ちょっと無理な角度で首を傾げて見ると、赤いオブジェが泡立つ海の飛沫を浴びて、にょっきりと屹立しています。その意味するところは明らかでしょう。すなわち、隠喩としての男根的象徴。これを撮った写真家も心乱された巡礼の一人ではないでしょうか。

というわけで、老人ホームのような高層マンションに妻と犬一匹と穏やかに暮らしております。ライトハウスのミニチュアもやがて何も訴えかける事のないありふれた日常のオブジェのひとつになって行くでしょうか。たぶんね。

(May5,2001丹下 誓)

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