ヒューストン便り3

玉井さん、掲載と返信ありがとうございました。しかし、誤解があります。
素晴らしい天気:ヒューストン便り2への返信に対してぼくの誤解を正すメールが来ました。


 玉井さん、掲載と返信ありがとうございました。

しかし、誤解があります。「ニューヨクからヒューストンへニュースがやって来る間に、影響はずいぶんやわらげられるようですね。」というのは全くの誤解です。テロのショックと呆然の直後から距離を越えて全米が一気に加熱したというのが正しいでしょう。ヒューストンでも非常にエモーショナルな状態が一週間は続きました。私はその朝通勤の車でニュースを初めて聞いたのですが、事務所の休憩室にあるTVの前にスタッフが釘付けになっており、泣いている女性もおりました。彼女の夫はヒューストンからワシントンへ向けての飛行機にその頃乗っていたのです(引き返して無事だと言うことが後でわかりました)。未だ飛行機が何機か行方不明でした。何処へ向かっているかもわからず、そのうちペンタゴンに衝突した、もう一機どこかの森に落っこちた、という報道がリアルタイムで入ってきました。その日からTVは全局コマーシャル抜きでテロ報道一色となりました。本土が攻撃された、シンボルがやられた、数千人の市民の犠牲者が出た、極悪非道モノのために、等々、距離を越えて全米が共時的な感情の渦に巻き込まれて行ったと言えるでしょう。地下鉄サリンの時、直接の被害者は除き大多数の日本人は「事件」として距離を置いて見たのではないで
しょうか。それに比べると今回のテロを米国人は何処の地域に住んでいる人も「自分が受けた被害」として見たと思います。また、ヒューストンでもプラント地区への攻撃があるとか、いろんな噂が出ました。ダウンタウンはその日の午後には空っぽになっていました。何故なら、米国人は危機のときは家族と一緒にいることを優先するからです。郊外にある我々のオフィスでさえ、夕方まで残っていたのは日本人だけです。日本領事館は、これから退避しますとの一遍のFAXを送ってきただけです。後は何にもしません。

こんな状況でした。私の「ヒューストン便り-2」は、何かが変わってしまった、その事実は陽気なテキサス人の多いヒューストンでも事件直後から深く静かに進行している、ということに焦点を当てたかったため、誤解を与えてしまったかもしれません。
とにかく、「あふれる蜜と砂糖の」良き時代の米国は確実に終わってしまったのであり、その影響を逃れうる地域は何処にも無いと思われます。

丹下


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