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石上特派員

多くの日本の組織あるいは組織の中で動く日本人の振舞いを研究するには、サッカー協会はいつも、よいサンプルを提供してくれる


1900. 8. 17

1 昨日(8月16日)のスポーツ新聞の記事に、小さいけれどちょっと気になる記事がありました。こういう記事を読むと本当に情けなくなります。

2 8月16日に行われた日本代表vsUAE戦の前日練習のことです。ビッグアーチでの練習時間は、UAE、日本それぞれのチームが1時間と決められていたらしいのですが、まず最初に行われたUAEの練習が1時間経っても終わらないので、日本協会の人間が
、すぐ切り上げるようにとUAEチームのアンリ・ミッシェル監督に伝えたところ、監督はすごく機嫌をそこねて、予定されていた記者会見も行わずに帰ってしまったとい
うことでした。
ことの真偽を確かめることができませんが、もしこの記事のとおりなら、小さなことではあるが、またまた日本サッカー協会の人間たちのアホさ加減と人情の無さを示す好例だと思いませんか。

3 確かに練習時間は1時間ずつというのが約束だったとしても、(これが日本チームに対しての注意なら当然だが)相手は自分たちが招待した遠来の客人なんだ、ということが頭の片隅でもよぎらないのでしょうか。自分の家に招いた客人に、多少長くなったとしても、「早く食べ終えろよ」とか、「早くトイレから出ろよ」などと言う奴がいるか?
 簡単に言えば、この場合は、ビジターチームが望むなら、1時間半でも2時間でもやらせてあげるのが「常識」あるいは「マナー」というものだ---もっとも日本サッカー協会の人間に「常識」や「マナー」を求めるのは「非常識」かも知れないが---。

4 こういう協会の人間達が、協会の幹部連には、やたらにへこへこしている姿が目に浮かびます。そしてアンリ・ミッシェルやUAEの選手に対しては、規則を盾にとって、権威づくの「警察官」もどきとなる。誰かが言ったように、これを木っ端役人根性と呼ばずに何と言おうか。トルシエ語録の中で、毎日でも(トルシエに)吠えてもらいたい一言、それは「いちばんプロフェッショナルになっていないのは日本協会です」---もちろん会長を含めて---。

SYMPATICO ENVOYE SPECIAL


 かれらの振舞いは、日本の組織というもののかならずおちいる弊害から発生している。組織というものは、その目的をいつの間にかかならず忘れ去って、組織そのものをまもり維持することを目的化してしまうものだ。
 2,3年前にはじめてサッカー協会のホームページを開いたぼくは、たとえば日本代表の選手たちのAマッチにおけるデータや、過去の試合ごとの記録などのデータベースがあって、ファンからのメッセージを送れるようになっているものを期待した。しかし、いきなり出てきたのはぼくたちのまったく興味のないものだった。サッカー協会の役員たちの名前や経歴などが延々とならんでいたのだ。「サッカー協会のホームページ」なのだから協会のことを知らせるためのものだと、協会の「ホームページ担当役員」とその配下の人たちが考えたのだろう。あるいは制作を引き受けた人たちが気を利かせたのかもしれない。
 もしサッカー協会の目的はサッカーの強化と普及、それを通じてのコミュニティ作りなんだとすれば、やはりぼくの期待していたようなホームページにしてくれたほうがはるかに目的にかなっているはずだ。数カ月前に写真週刊誌に協会の役員たちの出身の学校や企業チームの一覧が出ていて、その多くが早稲田と古川電工にあることを伝えていた。それをみると、なるほどサッカー協会のもうひとつの目的は、人脈や学閥をいつまでも大切にすることにあるのだということがよくわかる。そういう枠を気にしないのは、トルシエのような外国人監督の大きな功績だが、古代の渡来人や明治のおやとい外国人のように、ぼくたちの国を改造するには、結局のところ「外圧」が必要なのかもしれない。

TAM


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