自宅に帰る途中のことだった。走っている途中でぼくの体が沈むような感じがしたので、サドルがゆるんで下がったのだろうと思ってすぐに自転車をおりて見ると、なんだかおかしい。よーく目を凝らしてみるとフレームの一部のパイプが2本ならんで切れているのだった。MTBを気取ってジャンプして着地したわけではない。そのときは歩道を走っていたのだし、歩道を走るときはぼくは歩行者がいれば脇に隙間ができるまでゆっくり走って待つくらいだから、そんなにスピードをだしていたわけではない。そのときはもう夕方だったから、細かいところはわからなかったけれど、翌日になって太陽の下で見てみるといろいろとわかってきた。
モールトンは立体トラスを組んだフレームが前後のふたつに別れていて、その接合部分にサスペンションがはさんであるという独特のフレームで、これは最近のサスペンション付きのマウンテンバイクのシステムと基本的には同じである。ただ、サスペンションが金属のコイルスプリングではなくてゴムの固まりでつくられているのは今もって独特なのだ。後ろ半分の三角形を形作るパイプの下幻材がプッツリと切れていた。切り口はすこしも歪んではいないからつぶれたわけではなくて、引っ張りの力に耐えきれずにちぎれたらしい。一方の個所は溶接の肉の端部で、もう一方はトラスの斜め材の端を溶接部分に穴をあけてあって、そこでちぎれている。
きみのモールトンは本物ではないのだよと「本物」のモールトンの持ち主にしてかねてからモールトンの自転車の信奉者だった秋山東一氏がよく言っていたのがすぐにおもいだされた。ほかのタイプは手作りされるのだが、ぼくのAPB(all purpose bicycle)というタイプはライセンス生産の「廉価版モールトン」なのだ。それでも正規に買えば24万円。モールトンの自転車の手作りというのも尋常ではない。ステンレスを使ったフレームの高級タイプは100万円を超える。ストラトフォード・アポン・エイボンにある工場は敷地の中を小川が流れる古いお城だった建物で自転車はつくられる。モールトンのエンブレムにはそのお城の絵がつかわれている。スポークを組むおじいさんもお城とおなじくらいのヴィンテージで、オリンピックのアムステルダム大会の優勝者だったという。80歳を越える年齢のSir Alex Moultonは、かのMiniのサスペンションを設計したひとで、このことはミニの開発のものがたりである「ミニストーリー」(二玄社)に詳しくかかれている。ミニのサスペンションに使われているゴムの固まりと同じようにモールトンの自転車にはゴムのサスペンションが使われているのだ。このごろのサスペンション付きのマウンテンバイクのこれ見よがしとはちがって、さりげなく目立たない。二つの三角形から構成されるメインフレームを二つに分けて、ふたつの接点の一つをピンに、もうひとつにサスペンションを入れるという構成が共通しているのはMTBがモールトンをまねているからにほかならない。(オートバイのサスペンションと同じ構成でもあるけれど)
秋山さんが、ぼくに対して差別的言辞を弄しながら、ぼくがそれをにやりとして寛容に聞き流しているのにはもうひとつのわけがある。
7年前、1993年のある日、塚原が電話をかけてきた。「ビックカメラでモールトンが『よんきゅっぱ』で売っていたから2台あったのを両方とも買ったけど、一台を買わないか。」というのだった。49,800円といってもママチャリからすれば安くはない。とはいえ8割引きなのだから、結局それは僕のところにやってきた。秋山さんの差別的発言には「うまいことをやりやがって」という羨望が潜んでいるものだから、本物ではないよといわれると、こちらはこちらで安く買った優越感に浸りつつ内心でにやりとするのだった。しかしそういう価格は二度とないから、なにか特別の事情があったのにちがいない。ライセンス生産であるということと、正規販売店から買ったのではないということの2重の点で「本物」ではないというわけだ。吉松さんは同じタイプをぼくたちの数年前に正規の金額で買っていたものだから、彼に対して申し訳ないと思ったぼくたちは、安かったとはいったけれど、こちらの価格をけっしてあかさなかったし、秋山さんも言わなかった。ところが、「オーナーズミーティング」という集まりに参加したときに吉松さんと一緒に泊まることになった。「いくらで買ったの?教えてよ」といって領収書まで見せて価格の公開を求めるものだから、ついに公開に踏み切らざるをえなくなった。しかし、吉松さんはその事実を従容として受け入れた。
しばらくは近くで乗るだけだったのだけれど、やがて中野から渋谷の事務所まで通勤するようになった。片道11kmの距離は、時間にして45分ほどで、車でも電車でもほぼ同じ時間だった。自転車通勤のおかげで1,2ヶ月のうちに体重は5Lほど減るし毎年のようにやってきたぎっくり腰からも解放された。事務所を新宿に移してからは坂道は増えたけれど距離は6kmになった。以来、1年に300日を軽く越える日をモールトンで通勤して階段を担いで4階までのぼる。それにひきかえ塚原のモールトンの方は、家の中に大切に保存されている。まだすこぶる元気だ。当たり前の話だが。
1994年の11月、来日したモールトン博士を招いて、長野県の原村で正規代理店のダイナベクターが主催して、前述の「オーナーズミーティング」が開かれた。秋山さんの口利きで、ぼくたちも参加できることになった。塚原の用意した金色のマジックペンを差し出してAlex Moultonとサインをしてもらったのだが、ぼくのほうはもうすり切れて、かすかに痕跡しかみえないというのに、塚原のモールトンには金色のサインが輝いている。サインがしてあるからといって売るわけではないし、おれが知っていればいいことだといってAだけがわずかに残っている状態のままで、道具とは使ってこそ意味があるのだなどとうそぶいていたぼくに報いが来たというものだろうか。
うーむ、そういう生い立ちをかかえているものだから、正規代理店のダイナベクターには相談もできない。べつにクレームというわけではなく好奇心からなのだけれどモールトンのホームページにアクセスして、メールを送り、話をきいてもらおうと思うことにした。
吉松さんにこのことを書いて報告のメールを書くと返事が来た。/Tam
---ところで便りにあったAM/MPBのトラブル凄いですね。最初は添付ファイルが開けず焦りました。わたしのiMacに解凍ソフトSTAFF EXPANDERがインストールされていなくて慌てて探しやっと開くことが出来、ことの次第が判明しました。これは何かの祟りに違いないと!品質の悪い材料や、金属疲労あるいは設計ミスなどではアリマセンゾ!!あまりに安価に入手されたので、もういいや〜〜〜と投げやりになったに違いありません。阿倍清明の祟りかも知れませんゾ。京都の清明神社で御払いでも受けられることをお勧めします。とまあ冗談はさておいて、ぜひDR.MOULTONに報告されたらいかがでしょう。