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「ダブルキャスト」ショートストーリー
 
綴られた記憶                                                             by 栄地帝    
 

 
 
私が彼女のマンションに着いたのは午前1時を過ぎた頃だった。
 
仕事から帰宅し、コンビニで買ってきた缶コーヒーとインスタントの味噌汁で簡素な夕食を腹に流し込み、風呂につかった後、布団を頭からかぶって明日に備える。
 
今日もそんな平凡な日常の終わりが待っているはずだった。・・・彼女からの電話がかかってくるまでは。
 
「・・・・・・すぐ来て欲しいの」
 
最初は甘えた冗談を言っているんだろうと笑って聞いていたが、そうでは無いらしい。・・・声が微かに震えていた。
 
「どうしたんだ?」
 
「お願い。・・・・・・恐いの」
 
彼女は、それ以上電話では話そうとはしなかった。見せたいものがある、とだけ彼女は繰り返し、電話は切れた。
 
・・・私が呼び鈴を鳴らすと、待ちかねていたようにドアは開いた。
 
コートを脱いでソファに掛けると、私は彼女の頬に手を当てて軽く唇を合わせた。
 
彼女はふっと表情をゆるめた。
 
「・・・・・・ごめんなさい。心配かけて」
 
私が事情を聞く前に、彼女が再び口を開いた。
 
「・・・・・・それを見て欲しいの」
 
彼女はリビングにあるテーブルの上を指差して言った。
 
私は古びた一冊のノートを手に取ると、彼女を振り返った。
 
「これのことかい?」
 
「ええ・・・・・・」
 
彼女はゆっくりとうなずいた。
 
 
 
 
『 8月 6日
 
今日、彼からの誘いで映画に出演することになりました。
 
彼の大学の映研の一大事に貢献できることになった。
 
今までお世話になりっぱなしだったから、少しは恩返ししないとね。
 
でもあたしに演技なんてできるのかな。・・・・・・明日は彼が大学の皆にあたしを紹介してくれるらしい。
 
ちょっと不安です。』
 
 
それは日記だった。
 
 
しかも女性のものらしい。・・・古びた筆跡が私の背徳感を鈍らせてくれたのは幸いだった。
 
「君のかい?・・・これは」
 
「違うわ。多分、前にここに住んでいた人のものよ。引っ越したときにクローゼットが忘れられていたの。今日掃除していたら、その下からこれが・・・・・・」
 
そう言ったきり、彼女は目を伏せて黙り込んだ。
 
 
『 7月 30日
 
日記をつけることにした。
 
過去を無理に思い出すより、今を大切にする方が大事。・・・・・・彼がそう言ってくれたからだ。
 
でも何を書いたらいいんだろう?・・・・・・からっぽのあたしには、何も書くことなんて思い浮かばない。
 
おととい見てきた映画のことでも書こうかな?今日の日記なのにね。何か変かな。
 
やっぱり書くことがないので、今日はもう寝ます。
 
おやすみ・・・・・・明日のあたしはもっと元気でいられるといいな。』
 
 
私は合点がいかないままノートを閉じた。
 
「分からないな・・・これが何だって言うんだい?」
 
「・・・最後のところを見てくれる?」
 
「最後・・・・・・?」
 
「ええ」
 
彼女は私の手からノートを取ると、ぱらぱらとページをめくり、やがて開いたままのノートを私に差し出した。
 
 
『 8月 24日
 
今日彼が居なくなりました。
 
あたしが壊してしまいました。
 
姉さんが言っていたの。彼は悪い男だって。
 
だから仕方ないの。
 
ずっと楽しく暮らせると思っていたのに。
 
あたしのせい?彼のせい?
 
姉さん・・・・・・なぜあたしも壊してくれなかったの?』
 
 
ひどく乱雑な字体で読み取るのに一苦労だった。
 
「居なくなった・・・・・・彼と別れたってことかな」
 
彼女は黙って私の横に座った。
 
「前に話さなかった?・・・・・・事件のこと」
 
「事件?」
 
「このマンションに住んでいた大学生が、殺されたって・・・・・・」
 
「ああ・・・・・・」
 
7、8年前、叔父夫婦と同居していた大学生が、大学の構内で何者かに鈍器のようなもので殴られ、殺された事件。
 
警察は当初重要参考人として叔父夫婦の留守中に被害者が連れこんでいた身元不明の女性を捜索したらしいが、その二日後に犯行を自白した遺書を残して同じ大学に通う男子学生が飛び下り自殺したことにより、事件は解決した。・・・・・・確かそんな顛末だったはずだ。
 
「あれは噂だろ?君だってそう言って笑ってたじゃないか」
 
「・・・・・・そうじゃないの。
 
・・・・・・噂じゃないの。わたし・・・・・・知ってるの」
 
「どういうことだい?」
 
彼女は歯切れの悪い調子で続けた。
 
「わたし・・・・・・その大学に知り合いの女の子がいたの。聞いたわ、その子から全部。・・・・・・それに話には続きがあって、自殺した大学生は本当は無実で、真相を知っていたから殺されたんだって・・・・・・。
 
殴られて殺された大学生と同居していた女の人がいて、その人がやったんじゃないか、ってその子は言ってたわ」
 
「それこそ根も葉もない噂じゃないのか?」
 
「そう思ってたけど・・・・・・そのノート・・・・・・」
 
「・・・『今日彼がいなくなりました、あたしが壊してしまいました』、か・・・・・・確かにそういうニュアンスに取れなくはないけどね」
 
「同じマンションなのは知っていたけど・・・・・・まさか部屋まで・・・・・・わたし・・・・・・」
 
「考え過ぎだろう。・・・このノートだけでそこまで決めつけるのは無理があるよ」
 
「その知り合いの子、事件のあった映画研究部で当時メイクをやっていたの。今日、電話して聞いてみたのよ。間違いないって。この部屋で、その二人は暮らしていたのよ・・・事件のある直前まで・・・・・・
 
・・・わたし・・・気味が悪い」
 
「・・・・・・」
 
私は言葉に詰まって黙り込んだ。
 
「・・・・・・分かってる。
 
信じられないわよね、急にこんな話しても」
 
「・・・君はこれを全部読んだのかい?」
 
「いいえ。・・・全部じゃないわ。
 
最初の方と・・・あとは飛ばし読みして、最後のところを読んだの。
 
あの事件のことを思い出して、電話で話を聞いてからは、気味が悪くて触ってもいないわ」
 
「・・・なら、とにかくもう少し読んでみようよ」
 
「・・・・・・」
 
私は彼女の返答を待たずにノートを広げた。
 
どうも、平凡な日常に入った小さな亀裂が、私を引きこんだらしい。
 
 
『 8月 9日
 
今日は相手役の佐久間さんが来なかったので撮影は途中で中止になった。
 
彼は機材の後片付けで時間がかかるらしい。あたしは一人で帰ることになった。
 
ちょっと心細いけど、仕方ないよね。』
 
 
相手役の佐久間さん・・・自主映画で共演している男優の名前らしい。
 
私が次のページに移ろうとした時、私の手元に横目を送っていたらしい彼女がいきないあっと大きな声を上げた。
 
「驚くじゃないか。
 
・・・どうしたんだよ、一体」
 
彼女は私の苦情も耳に入らない様子で、そのページの一点を凝視していた。
 
「・・・この人よ」
 
彼女はその一点を指差して言った。
 
「え?」
 
「屋上から、落ちて死んだ人。・・・その人の名前も、確か・・・
 
佐久間というの」
 
「・・・何だって?」
 
『殺人者の日記』。・・・私は擦り切れてざらざらとしたノートの表紙をつまむ手が不意に汗ばむのを感じた。
 
映画研究部という舞台。・・・そこでメイクをやっていたという女性の証言。・・・殺人の告白ともとれる文章。・・・そして、佐久間という人物。
 
少なくとも、私の好奇心を退屈させないくらいの材料はそろったように思える。
 
 
とにかく、先を読み進めてみるとしよう・・・。
 
 
 
 
 『 8月 10日
 
昨日の夜に部長さんから電話があって、ロケに行くことになった。
 
佐久間さんが怪我をして、何と代役を彼がつとめることに!
 
心配だなぁ。あたしの足を引っ張らないかな?
 
でも、やっぱり、ちょっと嬉しい。
 
部員のみんなはいい人ばかりなのに、彼の姿が見えなくなるととても不安になる。
 
みんなだけだと恐く思えてくる。
 
自分が時々分からなくなる。何を怯えているんだろう、あたし。』
 
 
私はコーヒーカップを片手に、日記に綴られている文章を目で追っていた。
 
「怯えている、か・・・
 
・・・ずいぶんと情緒不安定な子らしいね」
 
「あら・・・」
 
彼女はキッチンまで盆を下げ、戻ってくると、私を咎めるように言った。
 
「・・・わたし、ちょっと分かる気がする。・・・この子の気持ち」
 
「へえ・・・さっきまであんなに気味悪がってたのに・・・
 
・・・どういう心境の変化だい?」
 
私は悪戯っぽく言ったが、実際興味を引かれて彼女の次の言葉を待った。
 
「・・・女はね・・・肝心な人以外にはそう簡単に素顔を見せたりしないものなの。
 
でもね・・・そうやっていろいろな顔を使い分けていると、自分を見失いそうで恐くなる時があるのよ。
 
この子は気づいていないのね・・・どれが本当の自分で、どれが演技している自分なのか。
 
分からないから・・・怯えているんだわ」
 
「分からないって・・・何故?」
 
「何故って・・・」
 
彼女は困ったように私を見た。
 
「だから・・・女にはそういう時があるのよ」
 
「・・・へえ」
 
男の私だって職場やプライベートでいろいろな顔を使い分けているつもりだが・・・まあ、女性ならではの感性というものもあるのだろう。
 
それより気になるのが、あの佐久間という人物が怪我をしたというくだり。・・・これも例の事件と何か関係があるのだろうか?
 
 
『 8月 11日
 
明日はいよいよロケに出発!
 
彼にとっては初めての本番。ご飯の時も台本を離そうとしなかった。
 
彼の部屋の明かりはまだついている。まだ台本読んでるんだろうなぁ。
 
明日はあたしが早起きしてちゃんと起こしてあげないとね。』
 
 
『 8月 12日
 
今日は恐いことがあった。
 
何があったかは書けない。良く覚えてない。思い出したくない。
 
でも、あの冷たい目だけは忘れられない。』
 
 
「・・・・・・?」
 
私と彼女は顔を見合わせた。
 
「・・・何があったのかな?」
 
彼女は首を軽く横に振っただけで答えた。
 
 
『 8月 13日
 
今日でロケの分の撮影は終わり。
 
帰りはあさってだから、明日一日は自由時間。
 
部長さんに水着を借りて、海で泳いでみるつもりです。』
 
 
『 8月 14日
 
今日は楽しかった。
 
昼間は海で遊んで、夜は浜辺で花火をやった。
 
いろいろあったけど、今日でロケも終わり。
 
ちょっと寂しい気もするけど、ほっとする気持ちもある。
 
明日からは、また、彼との二人きりの生活に戻るんだ。
 
 
「・・・海か。・・・いいわね」
 
彼女がつぶやくように言った。
 
「来年の夏には連れていってあげるよ」
 
私は彼女へちらりと目をやると、冗談混じりに言った。
 
「しかし・・・気になるね」
 
私はページを戻して言った。
 
「この、8月12日のくだり。・・・『恐いこと』があったのに、それを『覚えてない』と書いている。
 
妙だと思わないか・・・?」
 
「そう・・・?」
 
「うん。・・・まあ、何か強いショックを受ければそういうこともあるのかもしれないけど。
 
でも、『思い出したくない』とも書いているんだ。そもそも覚えてもいない記憶を、掘り起こすのをためらうほど、強い恐怖感だけ残るっているのは・・・・・・余程のことがあったのか、それとも・・・・・・」
 
「それとも・・・何?」
 
「・・・元々、この子の心は病んでいたのかもしれない・・・
 
「・・・・・・・・・・・・何故そう思うの?」
 
私は不意に言い知れぬ違和感を感じて彼女を振り返った。
 
彼女はきょとんとして私を見ている。
 
「・・・どうしたの?」
 
「いや・・・・・・
 
今、何て言ったんだい?」
 
「何故そう思うの?、って聞いたんだけど」
 
「ああ・・・そうだったね」
 
私は頭を振った。
 
「・・・ほら、前に『彼がいないと恐くなる』ってくだりがあっただろ?それで、やっぱりこの子は何か精神的な問題を抱えていたんじゃないかなと思ったんだ」
 
私はもう一度頭を振ると、ふと壁にかけられた時計に目をやった。
 
午前三時。
 
彼女は私の視線を追って、気遣うように言った。
 
「もうこんな時間なのね・・・・・・ご免なさい、あたしのせいね。
 
疲れているんじゃない・・・?」
 
私はあくびを噛み殺すと、目頭を指で押さえながら彼女に言った。
 
「・・・うん。どうもそうらしい。
 
続きは明日にしようか・・・・・・今日は休もう」
 
「ここで休んでいくの?」
 
「できればそう願いたいね」
 
私はソファーに身を倒して言った。
 
「毛布をとってくるわね」
 
時刻を確認することで、一度意識を現実に戻してしまったせいだろうか・・・私は強い眠気に襲われていた。
 
『殺人者の日記』。・・・興味は尽きないが、明日上司に報告する遅刻の口実にはならない。
 
私はノートをテーブルの上に置くと、彼女が戻ってくる前に軽い寝息を立てはじめていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あたしは男が完全に寝入ったのを確認すると、その胸に静かに包丁を突き立てた。
 
男は一瞬大きく目を見開くと、一声喘いだだけで、死んだようだった
 
あたしは男の胸に包丁を残したまま、テーブルの上のノートに視線を移した。
 
手に取り、ぱらぱらとページをめくっていく。
 
8月23日。
 
『あたし』と『彼』が、何気なく時を刻んだ、最後の日。
 
 
『 8月 23日
 
ロケに行った時の写真が出来上がりました。
 
あたしの水着姿を撮影した貴重な写真!
 
人に見せるのは恥ずかしいので、ここに貼っておきます。
 
ところで、明日は試写会。
 
みんなで作った映画が、ようやく完成します。
 
とても楽しみ。・・・最後の仕上げで、彼も徹夜で頑張ってるみたいです。
 
ご褒美に、明日はうんとおいしい手料理でも作ってあげよっかな。』
 
 
色あせた一枚の写真を、あたしは懐かしさと憎しみの入り混じった視線で見下ろした。
 
「馬鹿な男。・・・・・・ねぇ、そう思わない?」
 
あたしは微笑を張り付け、コーヒーカップの縁を指でなぞりながら、独り言にしてはやや大きなな声で言った。
 
「ねぇ・・・・・・志穂。
 
あなたって、何も変わらないのね・・・。
 
また、男なんかに頼って・・・何故思い出したがるの?
 
最初に忘れたがったのはあなたなのよ?・・・だから忘れさせて上げたのに・・・・・・」
 
あたしはノートのページを一枚づつ、ゆくっりと二つに裂いていった。
 
「志穂・・・
 
あなたに、こんな『記憶』は必要ないの」
 
時計の音だけが耳障りに、あたしに日常を告げていた。
 
 
                                    
 
                                      <END>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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