定年後の読書ノートより
敗北を抱きしめてー第1章―、ジョン・ダワー著、岩波書店
  • 天皇がみずから話されるたって?天皇が即位してから20年がたっていたが、臣下全員に直接話しかけられたことは一度もなかった。
  • 天皇の放送を聞いた数百万の日本人たちは、市民ではなく、天皇の「臣民」であった。
  • 日本の侵略意図を否定し、日本国家が実行した残虐行為を否定し、かつ、この長年にわたる侵略について、彼個人はなんら責任を問われないようなやり方で、負け戦を終らせなければならなくなったのである。
  • 天皇は、「降伏」とか「敗北」といった明確な言葉はまったく使っていなかった。
  • 屈辱的な敗北の宣言を、日本の戦争行為の再肯定と、天皇の超越的な道徳性の再確認へと転換しようとしたのである。
  • 天皇は、1941年に宣戦布告したとき臣民に告げたことを繰返した。他国の主導を傷つけるような侵略目的からではなく、日本の生存とアジアの安定を確保するために戦争を開始したのだと、
  • 敗戦の決断は狂暴な敵の行為による滅亡から人類そのものを救う、度量の大きい行為にほかならないとさえ述べた。
  • 臣民たちの犠牲は自分自身の苦しみであるといい、みずからを国家の苦難の体現者であり、究極の犠牲者であるとした。
  • このような大胆かつ細心な言葉遣いの背後には敗戦日本でこれから発生するかも知れない革命蜂起への、絶えざる恐怖が横たわっていた。
  • つまり天皇の放送はたんに負け戦を正式に終らせる声明であっただけではなく、敗戦国家の社会的・政治的安定を図ると同時に、天皇の支配を維持するための緊急キャンペーンの開始宣言でもあった。
  • 天皇の放送のあとで本当に砕け散る玉の道を選んだ者の数は、予想したよりも少なかった。数百人―その大部分は軍人―が自殺したが、この数はドイツが降伏したときに自殺したナチス将校の数とほぼ同じである。ただ日本と違って、ドイツには国を愛するゆえに自殺するという狂信的な考え方は存在しなかった。
  • 主人である天皇の先例にならって、戦争を率いたエリートたちは戦争中の自分達の行為をなんとか隠す為に書類を燃やした。
  • 9月2日の降伏調印式という道徳劇から天皇が完全に取り除かれたことは、日本側にとって明るい徴候であった。なぜならそれは、勝者たちが天皇を最終的には戦争責任から切り離すつもりかもしれないことを、暗に告げていたからである。
  • 勝者が何をするつもりであるか必死でさぐりつづけていた日本の指導者にとって、理想を語るマッカーサーの言葉の格調の高さは、小さな慰めとなった。
  • 広島と長崎の原子力による破壊につづく東京湾の光景は、アメリカ式の民主主義の下では、あのような物質的な力と冨が達成出来るかも知れないという、目の覚めるような実例を日本人に提供することになった。民主主義が力と富に直結するものとして実感されるまでにはしばらく時間がかかったが、日本の敗北の徹底ぶりが白日の下にさらされるまでには、ほとんど時間がかからなかった。
  • 日本の指導者たちは、「一等国」になることばかり考えてきた。日本が一等国の地位を拒否されるという恐怖感こそ、西側に戦争をしかけた最終的な理由だという考え方は、多くの日本人の共感を呼んだものであった。
  • 日本があれだけの抵抗ができたことに驚いたと米軍将校は述べた。戦争から抜け出すために日本は原爆を口実にしたと言っているアメリカ人もいる。

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