定年後の読書ノートより
敗北を抱きしめて(第15章;勝者の裁き、敗者の裁き)ジョン・ダワー著、岩波書店
戦争犯罪裁判は「平和に対する罪」A級、「人道に対する罪」B級、C級として、計920名が処刑された。ニュルンベルク裁判10ケ月に比して、東京裁判は31ヶ月と長期にわたった。戦争裁判とは要するに勝者復讐の営みだった。東京裁判の間も世界は刻々と変った。冷静は深刻化し、「植民地戦争」は連合国側の東京裁判における「非軍事化と民主化」の理想論理を土台から崩し、裁判が勝者の復讐の営みであることを露骨に国民の前に見せつけた。

天皇の責任問題は、マッカーサーをはじめとして、当初より関係者一同意識してこれを避けて進めた。天皇擁護は、裁判の被告全員にさえも共通して意識された。

弁護側も検察側も天皇を透明人間にしておくことに、等しく腐心した。被告たちは、天皇を護るために裁判所と暗黙の協定を結んだ

裁判では検察側の万全の体制に比し、弁護側は通訳さえも事欠き、不利な裁判仕組まれた。

東京裁判の中で、インドのパル判事の指摘は極めて厳しい。アジアでの戦争でナチスによる虐殺に匹敵するといえるのは、アメリカの原子爆弾投下を頂点とする空襲であると主張、オランダのレーリング判事も原子爆弾を戦争法違反と指摘した。戦争犯罪の告発に参加出来なかった日本も、独自の戦争責任追及をしようとした。しかし戦争そのものに抵抗してきたのは、目下連合国とともに、日本施政者の脅威とする共産主義者だけが戦争反対を通してきた歴史から、施政者は戦争犯罪人追求を激しく追求出来る立場にはなかった。しかし、日本人自身による戦争責任者追求をいい加減にしてきたため、その後の日本国民自身にあの戦争は自分達にも責任があるのだという意識が少ない

さらに日本国施政者の戦争責任追及姿勢は、平和主義者で無垢で、政治を超越した存在としての天皇を擁護し、全ては軍部のみにあるとすることであった。彼等の論理は、日本は、一握りの無責任な軍部の陰謀主義者によって「侵略的軍国主義」に引き摺りこまれたとする。勿論このような論理に連合国側は同意を示さず、戦争裁判には日本は戦争犯罪人を告発する資格なしとし、あくまでも勝者だけの裁きが進められた。

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