定年後の読書ノートより
敗北を抱きしめてー第16章、ジョン・ダワー著、岩波書店
副題として「負けたとき、死者になんと言えばいいのか?」。「死者は」ではなく、「死者に」というところがわだつみの声と違う、ここに本章の逆説的意味が秘められている。敗戦を日本人はどう受け止めたか、哲学者は懐疑的思索を進めたが、一方早くも反共イデオロギーを前面にし始めた極東軍政策と何等かのつながりを持つ右翼政治家達は巧妙に国民の意識にある意識工作を開始した経過がこの章の基本テーマである。

敗戦に際し、日本人は総ざんげという言葉によって、敗北の責任はどこにあるのか、焦点をぼけさせた。その過程は侵略したアジア諸国への罪の意識すら置き忘れている。東大総長南原繁は、普遍的自由に貢献せよと訴えたが、侵略による犠牲者への配慮は無い。そこには国民全員が犠牲者という視点があった。

原爆の残虐性と非人間性に関して、国民の意識は原爆そのものは残虐性と非人間性だが、それを使用した人間への罪には向けられなかった。寧ろ原爆に象徴されるアメリカの科学力に、日本人は魅惑された。日本は戦争で合理性と科学力によって負けたのだという考えが一般化した。

哲学者田辺元は、懺悔による解脱を親鸞に学べとし、西欧思想の理性と真実を超越し、親鸞こそ積極的原理を指導してくれるとした。一方竹山道雄のビルマの竪琴は、聖人のような日本兵の姿を描き、親鸞思想に基く田辺哲学を小説化した。

反体制側は、平和意識構築の為、その基礎として犠牲者意識を強調し、身近な喪失や苦難の記憶は、反戦意識拡大へのテコにした。一方、中国の共産化に伴い、日本人の中国における残虐行為糾弾の動きは抑えられた。すなわちGHQは、日本の中国侵略批判の動きをアメリカ極東政策に反するものとして押さえていった。アメリカは日本をアジアの重要な反共国家に仕上げていく政策を押し進めた。そんな中、戦犯辻正信は、敗戦直後は中国国民党、その後は、ウイロビー機関に匿われ、結局戦犯としての刑を逃げ切った。一方、巣鴨刑務所の戦犯達も巣鴨ハウスと称し、驚くべき特別待遇を受けていたのである。

戦犯の赦免意図は、天皇裕仁の赦免意図に通ずるものがあり、誰もが責任の逃げ切りをはかり、この企てはアメリカ極東政策転換と連動し、達せられることになる。それどころか、戦没者遺書を巧みに利用し、人間性を前面にした反戦声明であるかの如く読ませる遺書は、右翼政治家によって、日本の戦争犯罪と残虐行為をぼやかす煙幕として利用されていく。

ここをクリックすれば、読書ノートの目録に戻れます。