定年後の読書ノートより
敗北を抱きしめてーエピローグージョン・ダワー著、岩波書店
朝鮮戦争勃発直後より、アメリカは日本の再軍備を要求してきた。警察予備隊は「小さいアメリカ軍」であった。時の吉田首相は、もしアメリカの要求する再軍備をそのまま実行すれば、日本社会は深刻な分裂に陥るであろうと恐れ、再軍備30万人の案には強く抵抗し、裏で日本社会党に反米デモをけしかけたという。1951年4月11日朝鮮戦争に参加してきた中国に対し原爆使用を主張したマッカサー元帥は突然トルーマン大統領によって罷免された。日本を去るマッカーサーに対し、日本国民は肉親的心情を抱いて号泣した。しかしマッカーサーは帰国後、日本人はドイツ人に比較して、あたかも12才の少年の様だと評し、これを耳にした日本人の思い入れは急速に冷めた。日本人は自らいかにこの征服者に摺り寄っていったか気がつき、以後マッカーサを親しく思い出すことはなかった。

日本の経済はアメリカの庇護と援助に依存していた。しかし平和条約終結後に知ったアメリカの核の傘とは、アメリカに屈辱的に従属することである知り多くの日本人は衝撃を受けた。

反政府勢力は、占領がめざした「非軍事化と民主化」の理想をひきつぎ、アメリカに追従する政府勢力に対し、仮借ない批判的態度をとった。

1952年5月1日は血のメーデーとして歴史に残ることになる。

天皇裕仁の存在は、なによりも先ず歴史、文化、人種が途絶えることなく連続している生きた証拠であり、日本は上下関係を重視した社会であることの象徴であった。

日本は、ちまちました小物の輸出を続ける3流国としてのイメージで西洋各国より捉えられていたが、突然のように自動車、高品質の電気製品を創り、西洋市場に押し寄せて来た時、奇跡の男、超人といったイメージで捉えられた。

日本は日本とアメリカの交配型モデルである。官僚制的資本主義、それは1926年より1989年の天皇裕仁在位期間と完全に重なる。裕仁の他界と重なるように、ベルリンの壁は崩れ、日本経済のバブルもはじけた。日本はいまや新しい進路を描くだけの構想力と柔軟性に欠けており、日本を大国に押し上げたシステムはまさに崩壊している。占領軍は1940年システムすなわち日本官僚組織には手を付けなかったばかりか、結果として、占領軍もそれ自体結局官僚システムの一つであった。

急速な経済復興と経済成長を成し遂げながら、同時に非軍事化と民主化を目指した日本資本主義は、かなりの程度までその目標は実現した。日本は裕福になった。しかし今やこれらのシステムも捨てられようとしている。敗北の教訓と遺産は多く、また多様である。そしてそれらの終焉はまだ視界に入っていない。

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