定年後の読書ノートより
敗北を抱きしめてー第2章―、ジョン・ダワー著、岩波書店
  • 昭和20年9月22日公表された「降伏後における米国の初期対日方針」は。ポツダム宣言が暗示していたよりも、徹底した民主化を要求した。
  • このような事態の進行の背景には、ワシントンの部局間の複雑な論争や角逐があった。国務省の日本専門家たちは、日本を民主化させるなどという考えをせせら笑う保守派であったが、戦争末期には、より自由主義的で進歩的な改革主義者たちの前に敗北していた。
  • 日本に向かって空から降りてくる民主主義革命の缶詰が加藤悦郎の絵にあったが、あれは旧世代の日本派の手から降りてきたのではなく、より広範で根本的な政治的思考によってアジアにおける戦争と平和という問題を考えていた人々、とくに陸軍省の関係者の手から降りてきたものであった。
  • ポツダム宣言は大日本帝国は解体されると述べていた。軍事占領は日本国国民の自由に表明せる意志に従い平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立された時に集結するものとされた。この最後の文言は、連合国が天皇制の存続を暗に認めたものとかっては解釈されたこともあったが、実際は、意図的にあいまいに記されたというのが実態であった。
  • それによって、比較的穏やかな非軍事化と政治改革のための占領から、民主主義へと誘導するための史上例のない実験的占領へと、変質が起こった。
  • 当時高まっていた共産主義の影響力に対抗するためにも、免疫をつけさせねばならないという感覚が強まってきた。そのためこのような大胆な目標が登場したのである。
  • 当時の簡潔な表現によれば、総司令部の使命とは、まさに日本の非軍事化および民主化を実行することにほかならなかった。戦争の勝者がこのような大胆な企てに乗り出すことは、法的にも、歴史的にも、前例がなかった。
  • 上からの民主革命をみずから推進するにあたって、アメリカ人の改革者たちはほとんど異性の肉体的感触を楽しむかのように昂奮していたが、その原因の多くは、この東洋の敵の本性を変質させ、ほどほどに満足でき、健全で、西欧化された国、少なくともそれにちかいものに変えているのだという感覚があったからだ。
  • 9条と前文に記された戦争放棄規定の下で、日本は平和主義の路線を正式に選びとった。これは人を驚かせる新機軸であり、マッカーサー元帥の提案が出発点となって法制化されたものであったが、同時に、占領軍が発した種々の基本的政策指令の趣旨と完全に合致していた
  • 少数ではあったが、保守派の中にも、征服者にむかってはっきり物をいう喧嘩好きな指導者もいた。吉田はそもそも日本を民主化できる可能性はないと言ってのけた。吉田によれば、日本人には本物の自治をおこなう能力はない。
  • これはじつに稀にみる、短い、歴史の瞬間であった

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