定年後の読書ノートより
敗北を抱きしめてー第6章:新植民地主義的革命―ジョン・ダワー著、岩波書店
  • 上からの権威主義的変革は日本では目新しいものではなかった。アメリカの改革者が日本占領で成功した理由のひとつはこの点にある。
  • マッカーサーは天皇がそうであったように、総司令部の外にめったに姿を現さなかった。将軍は、彼に対する日本人の崇拝の念を巧みに利用した。
  • この超政府は、政治、経済、社会、文化に関する基本的政策を具体的に示し、推進しながら、命令ではないが、同等の強制力をもったものという巧妙な技をあみだした。
  • 民主主義を専制的な方法で実現することは、どんなレベルであれ非常に難しいことである。たんに法律や制度の改革を指導していくだけでは充分ではないことは理解していた。
  • 米軍兵士がミートボールと呼んだ日の丸の掲揚はきびしく規制され、国歌を歌うことも禁止された。横浜で誤って日の丸を掲揚した男は、重労働6ヶ月の判決を受けた。
  • 日比谷交差点では、日米警察が交通整理をした。アメリカの警察が合図をだして、日本の警察が合図を出した。この日常的な風景は日米関係を完璧に象徴していた
  • 上からの民主主義革命は多くの面で矛盾に満ちていた。勝者は民主主義を説く一方で命令による支配を行なった。勝者はおかすことの出来ない特権階級をつくりあげていた。西洋の文化と価値が東洋のそれよりも優れているということを前提としていた。
  • 日本の占領は、すでに存在している日本の政府機関を通じて間接的に行われた。そのため降伏以前の日本の政治体制のなかでも、もっとも非民主的であった制度を支持することにならざるをえなかった。官僚制と天皇制である
  • マッカーサーとそのスタッフは、彼等が日本に到着する文字どおり前夜まで、軍部による直接当時を樹立するように命じた「ブラックリスト」というコード名の秘密指令にもとずいて行動していたのである。しかし、この計画は「降伏後における米国の初期の対日方針」と名づけられた文書によって変更された。この結果、「最高司令官は米国の目的達成を満足に推進する限りに於いては、天皇を含む日本政府機構及び諸機関を通じてその権限を行使すべし」と明記されるにいたったのである。
  • 基本政策がこのように変更されたのは、あきらかに実際的な理由からであった。つまり、占領軍は日本を直接統治するだけの言語能力と専門能力に欠けていたのである。
  • 日本の軍事組織は消滅し、抑圧的であった内務省も解体されたが、官僚所為は本質的に手付かずのままであり、天皇も退位しなかった。
  • その結果SCAPの庇護を受けた日本の官僚は、戦争に向けて国歌総動員を進めていた絶頂期よりも実際にははるかに大きな権限と影響力を獲得したのである。
  • 新しい民主主義国家の最高位の象徴としてマッカーサー個人が演じた帝王のような役割は、最後には、抑圧と戦争と暴虐の時代を統治してきた天皇にふたたび委譲されることになった。
  • 日本人を戦争に駆り立てたのは、血でもなく文化や歴史でもなく、むしろ近年の政府による統制と思想的教化がその原因であった、日本人を再教育することは、実際にはそれほど困難ではなかった。

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