定年後の読書ノートより
敗北を抱きしめて、第7章、第8章、ジョウン・ダワー著、岩波書店
日本は民主化へと向かった。吉田茂は、この民主化に深刻な危惧を表明した。日本人は天皇に示していた敬意と服従をGHQに向けて示した。日本人はマッカーサーを抱きしめた。多くの国民がマッカサーに手紙を出して、親愛を表明した。手紙の中には、占領軍への蜜告の手紙さえもあった。日本人は民主主義を受け入れることと、家父長的権威を受け入れることの区別をしなかった。

知識人は過去への悔恨を自己批判を表明し、マルクス主義は、知識人にとって魅力ある存在であった。自立的な主体性が議論された。近代的な自我を欧米に求めた。科学者に民科、文学に新日本文学会、雑誌世界には悔恨共同体が出来た。反共主義者はじっと冷戦の動きを見守った。左翼の占領軍への対応は無邪気であった。教師は民主教育に熱中し、学生運動はスタートした。草の根民主主義は地方レベルでも広がっていった。こうした草の根民主主義は、旧来の階級構造を確実に壊していった

。労働組合は団体交渉権を持ち、労働基準法は極めて進歩的であった。個人の権利を大切に守られた。文部省は、平和と民主主義の擁護者に変身した。民主教育が徹底された。若き青年を戦場に追いやった罪悪感は、多くの教師を平和と民主主義を熱心に受け入れた。やまびこ学校の与えた衝撃は大きかった。

破滅的な敗北は、平和と民主主義を求め、征服者がもたらした民主主義革命を平和裏にいかに社会主義革命に転じるかであった。共産党は大きく民衆の支持を集めた。野坂の愛される共産党は、多くの国民の共感を得た。生産管理闘争は、労働者に陶酔感を与えた。

1946年食糧メーデは、日本国中の主要都市で行われた。民衆の抗議運動は天皇への上奏という形をとった。左翼が奇妙なことに、天皇の絶対的権威に訴えるというやり方をとった。これは左翼が君主制を認めたことにならないか。1946年5月20日、マッカーサーは「組織的指導の下に増加傾向にある集団的暴力行為は、日本の将来の発展に重大な脅威となる」と発表した。保守派は歓喜の色を隠せずにいた。

東京で開催された米ソ英中4カ国委員会において、5月の抗議行動がソ連と結託して行われたと、反共キャンペーンのきっかけへと仕立てた。1946年8月、反共系日本労働組合総同盟とライバルの全日本産業別労働組合会議が創立された。1947年2月1日のゼネストが計画された。マッカサーはスト中止命令を出し、保守主義者は狂喜し、組合指導者は泣いた。急進的な人々は、敵意をむき出しにして、アメリカは「民衆のための」真の民主主義の欺瞞に満ちた敵であるとみなすようになった。

「アメリカ占領当局は民主主義を掲げながら舌先三寸で日本人をだましていることが明らかになった」と不信感をあらわにした。1948年夏、マッカーサーは労働政策を逆転させ、公務員のスト権を取り上げた。1949年にはレッドパージが始った。1950年6月25日朝鮮戦争勃発までに1万5千人の労働者が解雇された。さらに朝鮮戦争が始ると1万1千人以上の人が解雇された。一方軍国主義者のデパージが始まり、公的活動への復帰が始った。企業経営者は労組幹部と協力して、企業内組合を創り、労使協調的関係を作りあげた。

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