定年後の読書ノートより
敗北を抱きしめて、第12〜13章;憲法的民主主義、ジョン・ダワー著、岩波書店
アメリカは占領当初より、占領後の日本の政治体制に心していた。必ず国体主義者は復活する。当初よりアメリカはそう読んでいた。それには日本の憲法を改正させねばならない、ワシントンはそう考え、マッカサーに指示した。真の参政権、選挙民を代表する立法部、基本的人権の保障、地方自治の拡大、ワシントンはSCAPより急進的であった。

しかし日本政府側はアメリカの意向に必ずしも敏感に対応していなかった。近衛も松本も、明治憲法を枠内改正し、天皇制を維持することに腐心した。しかしアメリカ側はもっと積極的であった。占領ポツダム宣言施行の一環として、マッカーサーは日本政府に大きな重圧をかけて、憲法改正を急がせた。アメリカの原案をみて、時の施政者は呆然とする。戦争放棄、天皇象徴、国民主権、施政者は必死にアメリカの意向をはぐらかすことに腐心するが、アメリカはこの原案を国民に明らかにするぞとおどし、次第にアメリカの意向にそった憲法改正作業が進む。

マッカーサーはこうすることが、昭和天皇を戦争犯罪人から救う最大の道であると信じ、天皇自身もアメリカの意向に従った。

天皇象徴制は天皇制を残すものだと最後まで反対したのは共産党だけだった。全ての政治家はアメリカの示した憲法原案に賛同した。明治憲法廃棄し、新しい憲法を作るという線で全ては進んだ。アメリカは民主主義の指導者として、憲法制定課程に厳しく参入した。民衆は民主主義を歓迎した。こうした中でも、英文と翻訳の過程の中で、日本旧勢力は必死に旧国体の維持を図ろうとした。憲法で最大のテーマである戦争放棄に関し、自衛戦力保持を認めるか認めないか、施政者内でも意見は必ずしも統一されていなかった。戦争の放棄は、こうした意味で徹底性を欠いている。しかしいずれにせよ、世界で始めて戦争放棄を明文化した憲法が日本で成立した。1946年11月3日憲法発布、1947年5月3日憲法発効の日を迎えた。こうして、アメリカ的なものを、日本が模倣する時代の夜明けが訪れた。

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