定年後の読書ノートより
ロシヤ文学について、除村 喜太郎著。ナウカ社(昭和23年発行)
ドストエフスキーに引き込まれている人が多い。著者はいう。これはドストエフスキーという作家の社会的地位と、読者の社会的地位が小市民という点で一致しているので、引き込まれるのだ断定する。なぜなら小市民は自分だけのこときりしか考えないから。大きな社会を観る人は、その社会がどういう方向に進んでいるか、それを自分の問題として考える様になると、ドストエフスキー的なものから足を洗うことができると著者はいう。

ベリンスキーは「貧しき人々」を読んで、ドストエフスキーの現実描写力に感動して、折り紙を付けた。しかしドストエフスキーはその後、現実から離れて何か幻想的、神秘的な世界へと逃れ、リアリストの眼を失ったと著者はロシア批評家達の言葉を引用して主張する。ドストエフスキーは、強制、苦悩、搾取の世界からの脱出口を外部の世界ではなく、心の内側に求め、人間の精神の調整の必要を訴えたとする。

従ってドストエフスキーの努力は悲劇的であり、不成功だったという。人間の弱さを是認し、人間をして不幸と戦わしめず、これと和解させようとし、不幸に満足しておれというドストエフスキーの思想は溜息の思想である。だからドストエフスキーの本質・正体を解明し、読者はドストエフスキーから足を洗わなければならないと著者は主張する。

ソ連ではドストエフスキーは思想的に否定され、国民があまり彼の作品を読まないように、専門家から指導されていると著者は書いている。日本人もドストエフスキーを読んで悪い影響を受けないように成長しなければならないと主張する。ロシア革命での知識人の中に、社会を変えるかわりに、頭の中で理想的なものを考え出して、それに没頭する、主観的には真面目だが客観的には一種の誤魔化しに過ぎない知識人達がいた。ドストエフスキーの思想に傾倒した思想家や批評家は、この種の知識人に属するのだと著者はいう。こうした知識人に対し、著者はあらゆる人間が幸福になっているソビエットの現実を見たならば、彼等が良心的であるかぎり、必ず考え方を替えるはずだと主張する。

最後に著者は文学観について短く書いている。世界観や思想は明確に意識しなければ存在し得ないが、文学作品では形象というものを通じて世界観や思想を描き出すことが出来る。芸術方法と世界観とは別でありながら、作品の中には作者の思想が芸術力で描き出される。低い世界観をもち、悪い思想を持った人の書いた小説でも、芸術力が故に多くの読者を持つものがある。ドストエフスキーは悪い思想をもっていた作家であるが、芸術力が優れていたので、今日も多くの人々に読まれている。ドストエフスキーの作品は社会に悪い影響を与える。革命において、知識人の裏切りを支えていたのはドストエフスキーの思想だと著者はいう。

この本は名古屋の古本屋で100円で買った。現在にはもうこんなことを書く評論家はいないだろう。しかしまだスターリンが健在であった頃、ソ連国民はドストエフスキーを読むことは御法度になっていた。そんなソ連時代の政治動向に迎合して、こんな文学論を書く批評家が大手を振ってまかり通っていたと知るだけで、国家権力が文学に口を挟むことが如何に恐ろしいか、いやそういう国家権力そのものが如何に恐ろしいか、我々はロシア社会主義の失敗をキチント学びつくさねばならないと思う

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