定年後の読書ノートより

戦後思想を考える、日高六郎著、岩波新書(1980年)
日高六郎は、戦後、フロムを日本に紹介したことで記憶している。この本は、戦後思想史の底流を若者を中心に論じている。特に印象に残った箇所を取り上げてみた。
  • 滅公奉私型の大衆を統合する為に、戦後の日本は、一歩一歩管理社会の方向へと進んでいった。今も進んでいる。大衆をひたすら天皇主義に誘導しようとした戦前の統合の仕方にくらべて、いまは個人的関心をある程度迎え入れることで大衆を統合していく。強制的権力的統合から誘導的自発的統合に変化してきた。
  • 大衆支配は、硬い仕方ではなく、柔軟な仕方で行なわれる。一元的でなく、多面的多様的に行われる。中央集権的でなく、地方分権的に行われる。
  • 管理社会は大衆に利益をかえし、個人に名誉や地位を与え得るので、それを批判することはやさしくない。境界線をはっきり引くことが出来ないという曖昧さが、管理社会の利点であり、つけめである。それは露骨な政治的弾圧や経済的搾取が引き起こしやすい批判や攻撃から身を隠すことができる。保守・革新が言葉の上では同じ言葉が、それぞれ使われ、同じ言葉を奪い合う。現実の対立をおおい隠すために、言葉の曖昧さが利用される。平和のためにこそ、自衛隊の増強は必要だ。民主主義のためにこそ、治安立法は大切だ。独立の為にこそ、自主憲法は制定されねばならない、生活の向上の為、労使は協調しなければならないと。世の中が複雑になった。
  • 日本の戦後は「富国」のうえに成立した。「富国」が達成された時、政治家達は新たな「強兵」を考え始めている。それを管理社会化のうえにつくろうとする。
  • 戦前は娘たちの婚前性関係を大目に見るような親はいなかった。いまや性を経験した女性が、他の男性と結婚しても、その男性に対して罪の意識を持つことはほとんどない。戦前、なぜ親は神経質になったのか、それは娘が傷物であることが世間に知れると、大変障害になったからだ。世間の評判や基準に順応していくという姿勢は戦前・戦後変っていない。社会的軌道から踏みはずさなければ、得だと親も娘もは考えているからこそ、社会的軌道が今も生きている。
  • 戦後長く、優秀な学生達は真剣にマルクス主義を勉強した。学生運動はそうした学生たちによって指導され、学生達は「正しさ」と「賢さ」を大切にした。高度成長経済の頃から今まで黙っていた親たちが変ってきた。親たちは自信を取りもどし子供達を社会的軌道に連れ戻そうとする。
  • 最近の若者は、優しさを人間的価値の一番にあげている。「正しさ」や「賢さ」にはあまり興味を示さない。「正しさ」や「賢さ」の価値を認めようとしない若者達は、「やさしさ」のとりこになっている優しさとは従順という言葉に置き換えられる。
  • 大人達にとって、もはや若者たちは敵対的存在ではない。大人達は若者たちによっておびやかわれていない。大人たちは、若者のことを心配しているだけである。若者たちが与えられた枠のなかで、無限にやさしくなり、無限に従順になっていくことに大きな問題を感じ、心配している。

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