定年後の読書ノートより
梟の城、司馬 遼太郎、新潮文庫
忍者葛篭重蔵に命令が下った。「秀吉を殺せ」。黒幕は秀吉の施政を忌々しく思う堺の富豪今井宗久だったし、その背後には次の支配者を目指す徳川家康が見え隠れする。葛篭重蔵は伊賀忍者を虐殺した織田・豊臣戦国体制に激しい憎悪を持っていた。「殺す」葛篭重蔵は京に潜行、豊臣の動向を伺った。そんな葛篭重蔵に思いを寄せる女忍者小萩がいた。伊賀忍者は既に時代から置き去りにされている。将来の仕官を期する伊賀忍者風間五平は、仲間を裏切り、体制側の一人となって、葛篭重蔵を追いつめていた。風間五平にとって、かっての仲間葛篭重蔵を売ることは、自分の出世につながっている。緊張の数年が過ぎ、いよいよ葛篭重蔵は豊臣を殺すべく、城内に忍びこんだ。風間も後を追った。葛篭は豊臣の寝首を襲ったが、殺すことは止めた。葛篭には全てが無意味に思えた。一方裏切り者風間五平は城内で捕まり、四条河原で処刑された。そして数年が経ち、ある山中に世捨て人として暮す1組の夫婦があった。葛篭重蔵と小萩だ。二人は山中の風になって幸せに暮していた。重蔵は山容の中の地物の一つに化しはじめていた。小萩もまた、自分の夫の風貌を、通りすぎてゆく山の風韻を、楽しいものに思えるようになっていた。題名「梟の城」にある梟とは忍者のことである。

昭和34年、中外日報という仏教系の新聞に連載され、その年直木賞受賞、これを機に時代小説に新しく忍者ブームが登場した。司馬遼太郎はこの作品で一躍流行作家になった。忍者小説「梟の城」は大衆小説としてスピーディーな筋の展開や生々しいエロティシズムを兼ね備えながらも、登場する人物には常に人間誰もが直面している、如何に生きるべきかという基本問題をしっかりと読者に問い掛けているのが、単なる娯楽小説とは少々違う。

利害打算に敏感で、金銭で動く大阪商人的忍者スパイ風間五平、組織・権力・権威に生きる戦国武士的風格を備えながら、その芯には理想主義的な人間像を生きようとする葛篭重蔵、恋に目覚め忍者を捨てることに躊躇しなかった小萩、それぞれの人間像の中に、司馬遼太郎の倫理観、幸福観、人生観が描かれていて、作品造形基盤はしっかりしているところが、一般の時代小説とはちょっと味が違う。

小説とは何か。先ず面白く、読者を惹き付けるものでなければならない。しかし、それ以上に、小説には読者の人生基本に共振する波長を常に具備していなければならない。その共振波長が司馬遼太郎の作品には、戦後世代の知識人と微妙に共振する何かが常にある。それが面白いし、あきがこない大きな魅力になっている。小説は面白くなければならない。そしてこの小説は面白い。

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