定年後の読書ノートより
生きがいについて、神谷 美恵子著、みすず書房
  • 同じ条件の中にいてもあるひとは生きがいが感じられなくて悩み、あるひとは生きる喜びにあふれている。この違いはどこから来るのだろうか。
  • 生きがいという大きな問題はあまりあっさりと片づけてすむものではなさそうである。充分時をかけてよく考えてみなければと思う。
  • 人間が生き生きと生きていくためには、生きがいほど必要なものはない。故に、人間から生きがいを奪うほど残酷なことはなく、人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない。
  • 生きがいという言葉には、いかにも日本語らしいあいまいさと、余韻とふくらみがある。
  • もし、心のすべてを圧倒するような、強い、いきいきとしたよろこびが、「腹の底」から、すなわち存在の根底から沸き上がってきたとしたら、これこそ生きがい感の最も素朴な形のものと考えてよかろう。
  • 生きがいを感じている人は他人に対してうらみやねたみを感じにくく、寛容でありやすい。
  • いうまでもなく生きがい感はただよろこびだけから出来ているものではない。
  • もっとも多く生きた人は、最も長生きした人でなく、生をもっとも多く感じた人である。
  • 生きるのが苦しい時間のほうがかえって生存充実感を強めることが少なくない。ただしその際、時間は未来に向かって開かれていなければならない。
  • 苦労して得たものほど大きな生きがい感をもたらすということは一つの公理といえる。
  • たしかに生きがい感は幸福感の一種で、しかもその一番大きなものといえる。
  • 生きがい感には幸福感の場合よりも一層はっきり未来に向かう心の姿勢がある。
  • 幸福感と違うところは、生きがい感のほうが自我の中心にせまっている。
  • もし仕事をえらぶ場合にも、もし生きがい感を大切にするならば、世間体や収入よりもなるべく自分でなくては出来ない仕事をえらぶのが良いということになる。
  • それ自体どんなに立派な世界観や思想であっても、受入る人の心の中にそれが必然性をもってくみこまれ、心の構造それ自体をつくる決定因子とならなければ、借り物にすぎない。
  • 自己の生存目標をはっきり自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力をそそいでいるひとー言い換えれば使命感に生きる人こそ、生きがいを感じる人である。
  • 使命感というものは、始めは漠然としたもので、それが具体的な形をとるまでには年月を要することが少なくない。
  • 使命感に生きる人にとっては、自己に忠実な方向に歩いているかどうかが問題であって、その目標さえ正しいと信ずる方向に置かれているならば、使命を果たしえなくとも、使命の途上のどこで死んでも本望である。
  • たとえその意味するところが何か抽象的な理想や思想であろうとも、人間の意識はこれを具象的、擬人的に体験するむきがある。
  • 生きがい感には、自尊心の昂揚からくる思いあがりがしのびこみやすい。
  • 生きるために必要な心のはりーこれも一種の生きがい感といえる。
  • 生きがいへの要求の領域はむしろ生物学的要求の領域が終るところから始ると思えてくる。明らかにこれは精神的存在としての、人間の要求なのである。
  • 人間の一番の願いは生命の一層大きな強烈さへの憧れである。
  • じっと眺める眼、こまかく感じ取る心さえあれば、一生同じところで静かに暮していても、全然退屈しないでいられる。
  • 自己の内面にむかって心の目をこらし、そこからくみとるものを作品の形で表現し、そこにいきいきとした生きがいを感じている人はかなりいる。
  • 現在の幸福と未来の希望と、どちらが人間の生きがいにとって大切かといえば、いうまでもなく、希望のほうであろう。
  • 他人からの反響ということも、他人に自分の存在を受け入れてもらう性質のものでなくては、生きがい感は生まれにくいであろう。
  • 愛に生きる人は、相手に感謝されようとされまいと、相手の生のため自分が必要とされていると感じる時、生きている張り合いを強く感じる。
  • 自由からしり込みする心の根底にあるものは、安定への要求というものであろう。これは自由への要求の反対の極にあるものである。
  • 自由といい、選択とはいうが、もちろん、それを手に入れる為には多くの知恵と弾力性を必要とする。ただがむしゃらにこれを追求してみても、自他ともに傷つくばかりであろう。
  • 人間もまた外的条件に恵まれないときにはなるべく抵抗を少なくして、エネルギーの消耗をふせぎ、なんとかその時期をやりすごすほうが全体からみて得策のことがある。鳴りをひそめ、小さくなって時期の到来をうかがうその姿は、一見消極的にみえても内に強靭な自由への意志を秘めている。環境への無言の抵抗と自己に対する抑えの力と。これによってやがて自由を獲得しようというものだ。
  • 本質的な自己を実現して行くには多くの努力と根気が必要とされる。その結果、この目標が少しでも達せられるならば、そこにすべてを圧倒するような喜びが湧きあがるだろう。
  • 人によっては生き方を無理に統一しようとしないで、生活のなかに二つまたはそれ以上の自己を並立させていく方針をとることもある。
  • 人は自分でもそう意識しないで、たえず自己の生の意味をあらゆる体験の中で自問自答し、確かめているのではなかろうか。そしてその問いに対して求める答は、どんなものでも良いから自己の生き方を正当化するもの(生肯定的)なものでなくては生きがい感は感じられないのであろう。この肯定が簡単に得られる人は生きて行くのが楽であり、楽しみにちがいない。
  • 生きがい活動は「やりたいからやる」という自発性を持っている。
  • 生きがいというものは、まったく個性的なものである。それぞれのひとの内奥にあるほんとうの自分にぴったりしたもの、その自分そのものの表現であるものでなくてはならない。
  • 生きがいはそれを持つ人の心にひとつの価値体系をつくる性質を持っている。
  • 生きがいはそのひとがその中でのびのびと生きていけるような、その人独自の心の世界をつくる。
  • 人間もそれぞれ自分のまわりに、自分がその中でのびのびと住めるような、身にあった心の世界をつくりだす。
  • 生きがいというものは、人間いきいきと生きていくために、空気と同じように無くてはならないものである。
  • 生きがいを失った人は、みな一様に孤独になる。
  • 悲しみの世界では、もはやひとは抵抗することをやめ、あがきながら身を引いている。
  • 身体の傷は時の経過だけ、自然にはんこん化し、組織が再生されていく。これと同じような現象が精神の領域にもおこなわれる。
  • 死がせまって来ていることを、正面から自分の生のなかに取り入れてしまえば、死は案外人間の生の友にさえなってくれる。
  • ほほえみのかげに潜む苦悩の涙を感じ取る眼、ていさいのいいことばの裏にあるへつらいや虚栄心を見破る眼、虚勢をはっている自分を滑稽だと見る眼、そうした心の眼はすべて、いわゆる現実の世界から一歩遠のいたところに身をおく者の眼である。
  • 人を真に支えうる愛は、「精神化」と「社会化」の最も微妙な組み合わせである。
  • もし人が自分で苦しんで生きる道を求め、新しい足場を宗教に発見したとしたら、その発見はその人の心の世界を内部からつくりかえるにちがいない。
  • 宗教の果たしうる本質的な役割は、人格に新しい統合をあたえ、意味観、すなわち生きがい感を与えることであろう。

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