定年後の読書ノートより
イスラーム文化―その根底にあるものー、井筒 俊彦著、岩波文庫
  • イスラームをどう理解すれば良いか。人類全体が地球的規模で統一化への道を進みつつある現在、グローバル化ということが思考の座標軸になりつつある。密接な相互依存関係の統一体、それが現時点の人間存在の普遍的形態である。
  • まったく違った伝統的文化的価値体系の激突によって惹き起される文化的危機、対立する二つの文化を学び、そこに新しい視座が生まれ、新しい知的地平の展望が拓け、自己と相手の対立をこえ、より高い次元に跳出する可能性が生まれる。高次の文化構造の弁証法的誕生。異なる文化的枠組によって触発される創造性。
  • イスラーム「コーラン」は砂漠的人間の世界観ではない。契約の重要性を認識した商売世界の宗教である。イスラームがどれほど複雑な様相を展開しようが、基本的には「コーラン」の自己展開である。ただ、コーランの解釈学「ハーディス」はイスラームの文化の多様性、多層性を複雑にしている。
  • イスラームではコーランの教えに基き、聖と俗を区別していない。人間生活すみずみまで宗教の範囲とする。コーラン解釈は多層的であるが、内的統一性は保たれている。イスラームは一つの信仰共同体に属しているという強烈な連帯意識がある。
  • 血の犠牲を経て、根源的統一性を守るイスラーム。スンニ派からすればイスラーム即イスラーム法、宗教即律法。
  • 神は絶対的超越者。預言者とは神の意志が深層意識で言語的に触発された人。コーランは神の意志の直接の言語化、あるいは神の言葉そのもの。神は絶対有力、人間は絶対無力。
  • イラン人(ペルシャ人)の世界認識は存在の空間的、時間的連続性を特徴とする。この連続的世界は、イスラームシーア派の幻想性に結びつく。
  • スンニ派はイスラーム即イスラーム法を立場とする。イスラム法は後期メディナ期の文化パターンの展開である。前期メッカ期は神の前に人間の実存の根源的あり方を意味する。メディア期から比較すれば、宗教がなまの人間的体験であって、いささかも制度化されていない。人間実存の倫理的自覚から、自分のあるがままの姿は実に罪深い存在という意識がメッカ期のコーランの考え方である。
  • イスラームの現世主義は、来世的存在次元を至上価値として認めた上での現世重視。来世の思いが人間行動の最高の原理として働く。人間倫理は来世で始めて完結する。
  • メディア期では感謝。神の慈悲慈愛に対し深い感謝の心を抱く。イスラムという宗教が否定から肯定へ、消極性から積極性へ、大きく転換する。宗教は大きく社会性を帯びる。慈悲も、親切も、寛大さも、神の属性と考えられる性質はすべて人間的存在の次元で、人間的な形で生かされる。メディナ期のイスラムは、こんな形で人間の倫理学を宗教的基礎の上に打ち建てる。
  • イスラームの理念的立場としては、少なくとも共同体に関する限り、人間社会の構成原理は血ではなくて信仰による連帯意識。この認識は、イスラムに普遍性、一般性、世界性を与えた。
  • 人間として、人間である限り、本性上平等であるというのではなく、共同体的社会の契約構造においては、この契約関係に入った人は誰でも平等。人間は自然的本性のようなものを考えにいれない、特殊な社会契約的平等である。
  • イスラムは他の宗教の信者をそのまま包含する多層構造体である。他の信者に改宗を強制しないし、宣教もしない。
  • 近代ナショナリズムの勃興は、イスラムの文化構造に重くのしかかった。トルコは世俗国家となり、イスラム法を撤廃し、アラビア文字の代わりにラテン文字を制定し、アラビア文字からトルコ文字に公文書も変えた。目下いずれのイスラム国もナショナリズムが押し寄せてきている。
  • イスラム法とは、神の意志に基づいて、人間が現世で生きていく上で行動の仕方、人間生活の正しいあり方を規定する一般規範である。その意味でイスラム方法が宗教である。
  • 宗教を外側から固めていこうとする律法主義と、宗教を人間実存の内面的深みに据えて、それによってイスラムの精神性を守っていこうとする精神主義、この2つの互いに正反対の傾向の間に醸しだされる矛盾的緊張こそ、イスラム独自の文化構造体。
  • メディア期の文化パターンとして、宗教を社会化し、政治化し、法制化し、イスラム法にまで仕立てあげていったイスラムスンニ派。
  • 物事には深層を含めて、内面がある。宗教で内面への道をとる人達をウラファー。法即宗教と考えるスンニ派ウラマーに対して、内面化された宗教を第1義とするシーア派ウラファーとの間には、惨烈な対立があった。
  • イスラム文化は外面への道と内面への道との間に血に塗られた歴史があり、血を流したのは、内面への道を歩んだ人達。政治力、軍事力と結びついたスンニ派ウラマーの力が圧倒的に強かった。
  • 内面への道には2つの違った系統があり、シーア派イスラムと、神秘主義的イスラム(スーフィズム)。しかし、両者とも、物事の背後にある内的リアリティ,それをハキカーと名づけるが、ハキカー中心主義である点については一致している。
  • コーランが第1義であるが、コーランは暗号であり、暗号解読の解釈学をシーア派ではタアウイールという。シーア派はイラン的に、聖なる次元と、俗なる次元の葛藤として捉える。スンニ派は現世肯定と捉える。
  • イラン人は著しく幻想的、神話的であり、その存在感覚では、体質的に超現実主義者。イランの文字にそれが現れている。そのイラン人が、いったん外面的世界、つまり現実の世界に戻ると、たちまち極端な論理的人間に早変りする。思考においては論理的、存在感覚においては極度に幻想的、これがイラン人の類型学的性格。
  • イスラム文化の3つの代表、第1に宗教法を依拠するスンニ派の共同体イスラム、第2にコーラン解釈で内面リアリティにせまるシーア派イスラム、第3に内面に神をみるスーフィズム。それぞれが真のイスラム1神教。イスラムはこの3つの潮流の闘争の歴史。

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