定年後の読書ノートより
レイテ戦記、大岡昇平著、筑摩書房大岡文学全集第9・10巻
中央公論編集長宮脇俊三は全集月報にこんなことを書いている。「第1回の原稿を読んだ私は、正直に言えばガッカリした。私は「俘虜記」や「野火」の延長線上にある小説作品を期待していた。が、全然ちがうのである。“戦史”“戦記物”のような叙述である。」

宮脇氏指摘の如く、「レイテ戦記」は綿密なレイテ戦戦闘記録である。文章は簡潔明瞭で、文学者らしい表現もあるが、大岡氏の他作品から想像される、フランス哲学に通ずる現代文学作品の世界ではない。大岡氏は若き頃より小林秀雄氏の影響を大きく受けて育った文学者の一人である。従って、この「レイテ戦記」には、戦争を見つめる小林秀雄氏の目に通ずるものがある。感情を交えず、冷静で、沈着で、精巧で、緻密な、構成である。今次世界大戦を描いた最高の戦争文学のひとつだと思う。筑摩文学全集には詳細な現地地図が付図されており、この地図を照合しながら作品を読み進む。

大岡氏は得意な語学力を駆使して、日本とアメリカ関連する戦史を詳細に読み尽くし、ある時は日本の資料から、ある時はアメリカの資料から、レイテの戦いを描き、日本陸海軍は如何に敗北していったかを正確に追い求めていく。

この戦記の中で、人間らしい息遣いが見えてくるのは、兵士投降と人肉食い、そして敗残兵がさまよったジャングルの壮絶な情景描写である。

雨滴といっしょに、山蛭が落ちて来た。耳の中、瞼など、人間の粘膜に取りつき、乏しい血を吸って太る。朝目をさまして兵たちは、目の前に蛭が縄のれんのようにぶら下がっているのに気がついたりした。”

“レイテ戦末期で人肉食いのうわさが発生するのは、この辺からである。米軍やフィリッピン人には殆ど合わないのだから、日本人同士食い合うほかない。孤立した兵士を殺し、人間自体を食った。実行者は告白しないし、目撃者もいない。多くの者が「あぶない」と思わせる人相の悪い兵士の一団に会った記憶を持っている。”

“投降は人肉食いと共に、敗軍中の最も微妙な問題である。兵士達は戦陣訓により{生キテ虜囚ノハズカシメヲウケズ}と教えられ、俘虜については国際協定が存在することを知らされなかった。

太平洋戦争の記憶が次第に薄れつつある現在、この作品を読むことによって、我々はかって戦争で兵士達はどんな苦しみを味わってきたのか、文学を通じてリアルに教えられる。

ものすごく量の大きい作品である。しかし息をつかせず最後まで一気に読み通した。

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