定年後の読書ノートより
講座日本史、歴史学研究会・日本史研究会編、東京大学出版会
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」を感動して読み終った。最後に実感したことは、何故日本の歴史学者はジョン・ダワーの如く、自らの目で現代史をみれないのかという怒りにも近い疑問だった。講座日本史は、1971年に東京大学に関係するマルクス歴史学者が書き上げた歴史講座である。第8巻「日本帝国主義の復活」を古本屋で100円で買ってきた。危惧していたように、この本の公式主義には今から振り返れば驚くばかりだ。

独ソ不可侵条約の評価;「帝国主義相互間の矛盾を利用して、ソ連は対ソ統一戦線を成立させようとする彼等のきわめて危険な陰謀をとりのぞくことが出来た」(オイオイポーランドヘノソ連侵略ノ歴史的行為ヲ忘レテイナイカ)

独ソ戦当初の敗北責任;「ドイツが国際的諸条件を利用して、政治的・経済的ないし軍事的に優位を確保することが出来ていたという客観的原因」(ゾルゲが送ったドイツ侵略近しの暗号電報を握りつぶしたスターリンの責任はどうするのか!)

第2次世界大戦ノ歴史的意義;「資本主義体制を衰退させて、革命の客観的条件を作り出し、社会主義を世界的な体制として発展させた」(資本主義=悪、社会主義=善とでもいうのか)

さて、マルクス主義歴史観には、公式のオウム返しが随所に見られる。

たとえば、「朝鮮戦争のもとでの日本経済は、「極東の軍事工場」の実質を如実に示した

その結果、独占資本は立ち直り、自ら軍国主義の復活を目指す政治勢力として政治の舞台に登場するようになる。下線の部分は、感情的とも言える公式論のオウム返し。こんな表現はジョン・ダワーにはないから、読んでいて、不要な感情を昂ぶらせなくとも良い。学者はアジテーターではない。歴史をしっかりと自分の目で見つめて欲しい。ジョン・ダワーのあの落着いた、余裕ある記述の中に、我々は自己の頭脳を活性化する場がある。

何もマルクス主義歴史学者が歴史公式独占販売でもあるまい。

しかし、この講座を読みながら、ジョン・ダワーはきっとこの本を読んでいるに違いないと思った。結果として、この本に書いてあること、そしてストーリーはそのまま「敗北を抱きしめて」に展開されているからだ。しかし、違う。ここにはマルクス歴史学というあたかも新興宗教にも似た、かたくなな自己独善的雰囲気が満ちていて、鼻持ちならない。

どうにかならないものだろうか。

これもまた公式の一つかも知れないが、こうしたマルクス主義の過ちは、あのスターリンの「弁証法的唯物論と史的唯物論」に準拠して、戦後のマルクス主義者は育ってしまったからいけないのだということを耳にするが、果たしてそれだけだろうか。

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