定年後の読書ノートより
ローザ・ルクセンブルクー思想・行動・手紙―、孝橋正一著、勁草書房
ローザ・ルクセンブルクは、1871年ポーランドにユダヤ人の娘として生まれた。父はドイツで学び、自由主義の空気の家庭を守った。ローザ・ルクセンブルクの少女時代は、ゲーテとシルレルを多く読んだ。ゲーテからは何事にも動揺しない泰然として態度を、シルレルからは自由独立の精神と意志の力を学んだ。

学業成績はクラスでトップにあったが、学生運動のリーダには、金メダルは素通りした。ローザは芸術と自然を愛する繊細な神経の持ち主であり、同じ愛情は労働者大衆にも向けられた。高校在学中から社会主義的な解放思想と密接にむすばれ、チューリッヒの大学では自然科学から経済学の進み、博士号の称号も得た。この頃、革命家ヨギーヘスとも出会う。

ロマン・ローランはローザを「魅せられる魂」のヒロインに仕立てている。ローザは物事の本質を探求することと実践的になる方法論としてマルクス主義を理解した。

ローザの目は、いつも大衆にそそがれ、大衆と共に苦しみ、大衆と共に悦びの心を鼓動した。彼女は人間の救済と解放は常に歴史に焦点づけていた。歴史的な「ものの見方・考え方」こそが、階級意識を目覚めさせ、階級闘争を必然的に巻き上げる。それ故に支配者はできるだけ歴史から解毒させようと、あの手、この手を講ずる。彼女の革命家レオ・ヨギーヘスへの思いは同志しての敬愛というよりは、密かな異性への思いであったようだ。民族問題に関して彼女はレーニンと鋭く対立した。民族意識の前に階級意識を自覚すべきであるという彼女の考えは、レーニンの民族運動重視の考えと対立した。

第1次世界大戦におけるドイツ社会民主党は、ゴーダ綱領からエルフルト綱領に切り替え、ベルシュタインの修正主義に対するカウッキーの批判も、所詮合法主義によって革命の道は達成されるとする考えの延長線上にあり、こうした情勢判断からドイツ祖国防衛をロシア革命擁護・国際連帯主義・国際階級闘争よりも優先させる政策採用となり、やがてはナチス台頭を許してしまう結果となっていく。

1906年から13年までローザは社会民主党の党学校で経済学の講義を受け持った。「国民経済学入門」においては、マルクス主義経済学の基礎的課題を分かりやすく、しかも経済学の階級性、党派性を明らかにし、ブルジョア経済学の本質を暴露した。さらに、人類が歩んできた社会・経済史の段階を区分してそれぞれについて分析と解明をおこない、すすんで資本主義制度の矛盾や私有財産制、生産手段の私有を特徴とする資本家的生産方法がいかに歴史的に規定されたものであるか、そして資本主義生産はいかに無政府性にみたされているかを論証した。そして政治経済学は社会主義の科学的基礎づけに役立つものであり、マルクスにしたがって、ブルジョア階級の理論的な支配手段からプロレタリア大衆の解放のための革命的な階級闘争の武器になるものであることを示した。その後幾度かの入獄。そして1917年のロシア革命、ドイツ社会民主党の分裂、スパルタクス団の結成、1919年1月15日リープクネヒトと共にローザは追われる身となり、反革命勢力によって虐殺。

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