定年後の読書ノートより
歴史としての社会主義、東大教授 和田春樹著、岩波新書
著者和田氏は1938年生まれ(ということは小生と同年)。高校1年生の時、岩波新書「社会主義と自由」を読んで大きな衝撃を受け、社会主義研究に没入しようと決意。1978年ソ連に留学。そこで知ったソ連社会主義の現実は2度目の衝撃、以後この国の社会病理解明をテーマとし現在東京大学社会科学研究所教授。1991年ソ連の国家社会主義体制崩壊。1年後にモスクワを訪ねその変貌に呆然とする。社会主義とは一体何であったか、まず社会主義の歴史から見直そうと1992年8月本書出版。

「全ての人々に自由を」の思想は、近代市民社会成立と同時に人々の描いたユートピアであった。しかし、結論的にいえば、民主主義を通して成立する社会主義でない以上、それは本当の社会主義ではありえないと著者はカプスチンをして語らしめる。歴史的に見て社会主義とはユートピアを目指す思想であった。マルクス主義もこの中に含まれる。唯物史観と剰余価値学説の発見によって、マルクス主義は科学になったと主張されるが、そしてマルクスの現実分析は確かに高度な水準にあるが、社会主義思想そのものが、ユートピア思想であることには変わりがない

マルクス思想には、人々を鼓舞する力がありながら、社会主義ユートピアを語ろうとしなかった。マルクス主義は現実改革の急進思想、近代化革命の急進思想として機能し続けた。工業社会の社会主義が軍隊的編成をとる必然性を、社会主義ユートピアの実現にひそむ重大な警告として、19世紀論争されていたが、マルクス主義はこの論争を無視した。マルクス主義は、ドイツとロシアで指導的な社会主義思想となり、この両国でマルクス主義的社会主義運動は社会民主主義と呼ばれた。

国家社会主義は世界戦争の時代にスタートした。レーニンは世界戦争を産み出す帝国主義を打倒する革命権力が、戦時統制経済を実現すれば、ロシアも社会主義に進めると考えた。世界戦争の時代が、ユートピア実現の可能性をつくりだしたとも言える。資本主義を戦争によって破壊し、ユートピアを造ろうとしたレーニンは、暴力的に社会主義実現に進む道を選択した。しかし、晩年のレーニンはスターリンとの対立の中で、自らの誤りに気付き、暴力的独裁を修正しようとしたが、すでにスターリンに権力を握られ、レーニンの修正は間に合わなかった。

スターリンは一国社会主義の立場に立ち、強力な総力戦体制を強いた。農業集団化の強引な推進は、無謀ともいえる工業化目標達成の為の農業犠牲策だった。兵営社会主義下に強行された工業化は世界の注目を集め、大恐慌からの脱出を求める資本主義世界に衝撃を与えた。外部からの、即ち資本主義世界からの表面的なソ連国家観察は社会主義のユートピア性を高める結果となった。しかし、著者は1932年ロシア亡命哲学者ベルシャーエフの言葉引用という形を用いながらここで、こう述べている。

生活はユートピアに向かって進んでいる。しかし体験は別のことを教えた。人々にとって、いかにユートピア的でない、より不完全だが、より自由な国家に戻ることが出来ないかについて、夢想する新たなる世紀が始った。

トロッキーの存在は、スターリンの警戒心を高めた。「人民の敵」を狩り立てるおそるべきテロルが荒れ狂った。この恐怖はスターリンの個人独裁を確立させた。しかし、このテロルの実態は資本主義世界には伝えられず、ソ連の緊張度が資本主義知識人にはソ連がファッシズムと闘う砦として映り、希望の星ソ連として、かえってソ連は憧れの眼で仰ぎ見られた。

独ソ不可侵条約を結ぶスターリンの世界情勢判断に大きな過ちがあった。しかし、世界の人々はスターリンの正体を見抜けなかった。ナチ電撃侵攻2ヶ月間、正にソ連は指導者空白の状態にあり、その間ナチ空襲に対し、ソ連軍は応戦してよいのかどうかすら決断出来ない大混乱があった。緒戦の大敗北の中で、人民に対する人工的、抑圧的恐怖は去り、人々は自分の力で敵を判断し、スターリン抜きで戦った。ナチとの戦いで、ソ連人民は2000万人の犠牲者を出したが、内実は決してスターリンの指導力が勝利を導いたのではなく、ソ連国民一人一人のナチへの怒りが勝利を導いたのである。

日ソ開戦に関して、連合国はソ連に日本との戦争をうながし、ドイツは日本に対しソ連との戦争をうながした。両国とも今は闘う力が無い、一段落すれば必ず開戦すると回答している。スターリンは対日戦の見返りを執拗に求めた。ソ連参戦に衝撃を受けたのは終戦を拒み続けていた日本陸軍であった。

第2次世界大戦の勝利は社会主義の思想的道義的権威を高めた。ソ連の勢力圏は一挙に拡大した。東欧の人民民主主義は、ソ連型国家社会主義にいたる中間ステップと位置づけられ、どの国も共産党がイニシアティブを握り、次第に共産党独裁に仕向けられ、人民民主主義とソ連式共産主義の区別はなくなっていった。ソ連は東欧を前線基地として確保し、そこに国家社会主義を扶植するのが、ソ連の政策であった。人民の志向は容赦なく抑圧され、国家社会主義が押し付けられた。

米ソ関係は、戦後2年もすると、対立は決定的な冷戦となった。ソ連ではへとへとになった農民に戦後も締め付けが強められた。経済の復興が急がれた。国家社会主義経済は軍需産業が経済の中心になり戦車とジェット戦闘機ではソ連が優位に立った。中国革命に関し、ソ連はアメリカを刺激しないように、毛沢東に幾つかのブレーキをかけた。中国革命の勝利は米国に対決姿勢を与え、朝鮮戦争はそれを決定づけた。北朝鮮の完全な閉鎖国家は戦争社会主義のもっとも純化した極を現している。ベトナムは中国モデルに従い、革命戦争を戦おうとした。ベトナム社会主義とは、長期の戦争を遂行する手段でもあった。

台湾と韓国は国家目的として経済建設を追求し、共産主義との対決の名において政府批判と労働運動を封殺した。当初、それらの国々の遅れた状況は、社会主義側の優位として世界の人々に写ったが、ベトナム戦争特需等によって、経済成長は目覚しく、やがて中国、北朝鮮を追い抜くにいたり、台湾と韓国の発展は、東欧とソ連、中国と北朝鮮に強い印象を与え、開放と改革、ペレストロイカを促す一要因になった。

ベトナムにおける残虐な戦争はテレビを通じて、全米に報道され、反戦市民運動は高まり、米国社会を変革する力までに成長する。米国は当初ベトナム戦争に自信を持っていたが、開放戦線の衝撃的な攻撃の前に、和平に応じざるを得なかった。米国は朝鮮戦争、ベトナム戦争で幾つかの挫折を経験する。米国は以後このような民族主義戦争に長期にわたって戦争を遂行出来得ないことを確認した。米中和解とベトナム戦勝利によって、民族革命とアメリカ帝国との対決状態は終った。中国は共産主義運動の支援を停止し、革命の中心ではなくなった。国際共産主義運動はここで終った。

中国は世界経済との結びつきを求めて、対外開放、現代化改革を開始した。それは巨視的に見れば、国家社会主義からの離脱開始であった

民族独立をあれほど見事にすすめてきた共産主義者達は、平和の到来と共に混乱し、失策に失策を重ねていった。ベトナムをはじめ、多くの独立民族国家は、急速に世界に対する影響力、説得力を喪失した。カンボジアはアジアの戦争社会主義が見せた恐るべき極限の相であった。カンボジアはアジアにおける共産主義運動の終りをもたらした

日本の経済発展は、一段と合理化を進め、前進した。ソ連は米国のベトナム失敗から学ばず、その後も幾つかの軍事干渉を重ね、東欧における社会主義の改革運動さえも鎮圧した。ソ連は世界がコンピュータ時代にありながら、対外閉鎖的な、情報統制的な国家社会主義システムで対応し、その結果経済の効率化に大幅に立ち後れた。指導部の世界情勢認識は全くずれていた。

核時代では、もはや平和共存は資本主義から社会主義への移行期の闘争手段ではなく、ソ連国家の唯一可能な対外政策の基準となった。ペレストロイカでは、世界の相互依存性の確認が論じられ、ソ連の大きな政策変更が始った。資本主義世界とはソ連にとって人類的課題、グローバルな諸問題を一緒に解決していく自分達のパートナーであるとゴルバチョフは国家関係の脱イデオロギー化を唱え始めた。明らかにレーニンの帝国主義論からの決別であった。

国家社会主義とは共産党と国家が一体化した構造であり政策は共産党によって決定される以上、議会制民主主義は存在しない。普遍的な人権概念も存在せず、共産党のイデオロギーが公的イデオロギーとして支配していた。ペレストロイカの経済改革は中央集権的計画経済の枠を外すことであったが、たちまち壁にぶち当たった。ペレストロイカそのものは共産党を置き去りにして進み始め、民主化は決定的に前進し、共産党はペレストロイカの妨害者に転化した。

民主化の中で、国家社会主義体制は危機に陥った。ソ連共産党とソ連国家が解体したのは、民主化と民族の再生の成果であった。しかしそのことは、中央集権的計画経済の危機でもあった。民主化と共和国の主権主張が中央権力を麻痺させ、中央の統制と強制にのみ媒介されていた経済システムの解体を促進した。かくして1991年末、国家社会主義はその誕生の地で、ロシア革命以来の歴史を終えた。

世界戦争の時代が去ったあとに始ったのは世界経済の時代だと言えよう。これからは基本的には経済の論理が世界を結びつける。歴史は世界戦争の時代から世界経済の時代へ本格的に移行した。時代の経済的主役は非軍事的発展で、高度に効率的で成長力のある経済を作り出した日本、ドイツではなかろうか(著者はアメリカの存在を低く見過ぎていると思う。日本、ドイツを背後で操作するアメリカこそ、世界経済戦争の主人公である)。

今や世界を支えるだけの成長持続力が先進国にあるのだろうか。先進国が成長を減速し、消費のレベルを引き下げなければ、貧しい国が向上するための資源がない。先進国が略奪的、収奪的に貧しい国々に対すれば、自然地球環境を破壊して、確実に自分の首をしめる結果になるであろう。

世界戦争の時代が終り、国家社会主義体制が終り、共産主義運動が終った。そして今日の社会民主主義は伝統的な産業民主主義と社会福祉の問題に加えて、エコロジー環境問題や、エスニシティーとの共生の問題、それにフェミニズム問題などに取り組んでいる。社会民主主義は世界経済の時代にあっても資本主義経済を抑制し、改革を加えていくのに重要な役割を果たしている。今では共産党を名乗る運動勢力も、資本主義を破壊して、全く新しい世界を作り出すことを目指しているものではない。

ユートピアを完全に実現することの危険性はすでに明白である。ユートピアは逆ユートピアを生むものであってはならない。新しいユートピアはグローバルなものとしてしか意味を持たない。その理念は「多様性」「多様な生き方」「共生」があげられる。重要なことは、経済成長、生産力の発展にかかわる新しい構想である。先進国の欲望と消費の無限の増大を抑えながら、低開発国の発展を可能にする国際システムが模索される必要がある。そのような構想をつくり出すのに、日本は努力し貢献すべき義務を負っている。

到来する世界的平和の時代の中で多様な生き方をしながら地球大の真剣な協力が出来るかどうか、人間の可能性が問われている。

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