定年後の読書ノートより

「きけわだつみのこえ」再読、日本戦没学生記念会編、岩波文庫
ひとつひとつの手記を、静かに合掌しながら読んだ。この手記に関する限り、机に向かって、きちんと正座して読むべきだと思う。ひとりづつ、きちんと名前と略歴を読み上げ、二十何歳での死を自ら深く受けとめながら再読した。まだ見たこともないひとりひとりの若者の声を一言ももらしては申しわけないと自分に言い聞かせて再読した。

死を宣告された人間のTVドキュメンタリーをいつも平気で見馴れている今日に生きる我々にとっても、勿論死は厳粛にして、最大の関心事ではあるが、死と戦争とを重ねて深く考え抜く若き魂の叫びほど、我々に緊張を呼び掛けるものはない。勿論、TVで見る癌宣告も怖いし、死刑宣告も怖い。しかしこの手記は違う。戦争という、納得できない宿命に、とうてい個人では抵抗出来ない不可抗力を意識しつつ、それでも自分自身を何とかして見失うなうまいともがく若者の苦悩が深くわれわれの胸を打つ。苦しくてやりきれない。

いうまでもなく、戦争は施政者の悪行である。この戦争を進めた指導者達が、戦後いちはやく、自らを偽りをひた隠し、再び政治への野心を燃やし何と多くの悪人達が再登場してきたか。渡辺一夫先生も怒りを込めて書いている。

若い学徒をおだてていた人々が、現に平気で平和を享受していることを思う時、純真なるがままに、扇動の犠牲になり、しかも今は、白骨となっている学徒諸氏の切ない痛ましすぎる声を我々はどうすれば良いのかと。

自分は都立高校1年の時、「わだつみ会」に入会、当時は何度も駒場寮にあった事務局にも通った。それだけに、今60才にして、戦争を遠い過去の問題にしてしまい、すっかり心の緊張を解き放している自分自身を恥ずかしく思う。

シンガポール・チャンギー刑務所で上官の身代わりとして刑死した木村久夫学徒は書いている。

我が国民は今や大きな反省をしつつあるだろうと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果たすであろう。それを見得ずして死ぬのは残念であるが致し方がない。日本はあらゆる面において、社会的、歴史的、政治的、思想的、人道的な試練と発達が足らなかった。万事が我が他よりすぐれたりと考えさせた我々の指導者、ただそれらの指導者の存在を許して来た日本国民の頭脳に責任があった。

あれから60年、日本人はこの誤りをきちんと反省し、どこまで2度とこの過ちをくりかえさないと誓って努力してきたのか。自分ももうじきこの世から消えていく一人ではある。しかし「きけわだつみのこえ」に示された先輩たちの声をどこまで素直に耳傾けて生きてきたのだろうか、もう一度静かに反省せねばならないと思う。

以上

以下は名古屋哲学セミナーに「憲法と戦争」2001年11月特別号の原稿として、投稿したものである。

憲法と戦争

NY同時多発テロ直後、朝日新聞天声人語では渡辺一夫先生の「寛容は自ら守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を取り上げ、報復一色に染まる巷の声に対し、再考を促した。実は、丁度同じ頃、自分も渡辺一夫先生の作品を読み直していた。その内容はホームページ読書ノートに載せていますで、機会あれば是非一度読んでみて下さい。(http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/)

全ての知識人が厳しく弾圧されていた暗黒の昭和20年、渡辺先生は手持ちの小冊子の裏に密かにフランス語で、戦争で苦しむ知識人の心情を毎日書き残しておられた。

「この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない。この国と人間を愛し、この国のやっていることを恥じる一人の男が、この危機にあってどんな気持ちで生きたかが、これを読めばわかるからだ」。

加藤周一氏の「羊の歌」では、渡辺先生こそ戦争中の日本に天から降ってきたような人だったと評しておられる。

「皆が平和を望んでいる。そのくせ皆が戦争嫌さに戦っている。誰も己の意志を表明できずにいる」。「戦争は雪崩のようなものだ。崩れ落ちるべきものが崩れ落ちぬ限り終らない」。「知識人の弱さ、あるいは卑劣は致命的。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない」。「自殺を考える。人間らしさの片鱗すらもつことを許されていないのだ。軍部の考えを是認する知識人さえいる。彼らの古臭いイデオロギーが、祖国の滅亡を招こうとしている」。

昭和20年8月15日、戦争は終った。しかし多くの青年達は2度と還らぬ人になった。渡辺先生は戦没学生の手記「はるかなる山河に」を基に、「きけわだつみの声」を編集、我々は2度と戦場に青年を送ってはならないと強く訴えられた。

渡辺先生は、フランス・レジスタンス戦士ジャン・タルジューの詩を「きけわだつみの声」巻末に添えられた。この詩は敗戦で呆然自若となっていた日本人に対し、戦争を2度と繰返してはならないと不戦の誓いを決意させた。

死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は、何が判ればいい?

死んだ人々には、慨く術もない以上、生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいい?

死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?

「追記」

「きけわだつみのこえ」を編集なさったのは、上述渡辺一夫先生と共に、真下信一先生、小田切秀雄先生、桜井恒次先生が顧問として、ご活躍されました。真下信一先生のご自宅の書斎には、いつもこの「きけわだつみのこえ」が一番目に付く所においてあったのを今も記憶しています。小生の50年前のことで恐縮ですが、高校1年入学と同時に「わだつみ会」に入会しました。「日本戦没学生記念会=わだつみ会」が、日本で最初の平和団体であったと、最近になって知りました。わだつみ会は東大駒場寮に高校生の連絡事務所を置いていました。しかし最近駒場寮も取り壊されてしまいました。この会がその後どうなったのか、知りません。

終 2001/10/5記

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