定年後の読書ノートより
吉田茂とその時代(下)、ジョン・ダワー著、中公文庫
吉田茂は降伏直後に自らに課した任務とは次の如くである
  1. 天皇と国体の存続
  2. 国内の、ことに大衆レベルでの革命的潜在勢力の弾圧
  3. 旧勢力とエリート支配の伝統的手段の復活
  4. 資本主義路線に沿い、かつ戦前の財閥支配型にのっとる経済の復興
  5. 西側諸国の一員としての日本の国際地位への復帰

吉田茂は治安維持法の廃止と共産党の合法化に反対し、共産党の非合法化を考えたが、アメリカとの合意に至らなかった

アメリカは当初日本近現代史について根本的に異なる見方をしていた。それは明治の遺産そのものの否認を要求するものであった。

E・ハーバート・ノーマンは歴史の女神クリオはいたずらが好きと書いた。クリオは降伏直後の日本にうまいいたずらをやった。それはアメリカの革新主義的軍事独裁であった。上からの革命を断固として宣言した。この上からの革命は、下からの革命勢力と交差した。

革命の妖怪は、降伏後の初期に強く生き続け、吉田グループはアメリカ占領勢力の派閥を利用することによって、さしせまった「行き過ぎ」を覆そうと努めた。

右翼軍人達は総司令部の軍事官僚内部の反ソ・イデオロギーチャールズ・ウィロビー少将を始め諜報第2部(G2)や第8軍指令官ロバート・アイケルバーカ中将などである。吉田はこれらを「現実主義者」と呼び、これに対し民生局(GS)のホイットニー准将やチャールズ・ケーディズ大佐を「理想主義者」と呼んだ。狂信的反共主義者は「ニュー・ディーラー」に対抗し、1948年までに総司令部内の「赤」を追放し、49年には第3次吉田内閣に公務員の中から共産主義者と同伴者の追放を命じ、50年には「レッド・パージ」によって急進的労働運動弾圧を民間部門まで拡大した。

ワシントン政府は、1948年までに吉田グループと同じ反共視点に立つようになり、「逆コース」が加速された。政府は1949年6月には、共産主義者と左翼運動関連者を専門にする国内諜報機関を設けた。発足当時の1949年には150名、1950年には1200名、1952年には1700人以上と急激に強化された。この局長は古河光貞であり、彼こそゾルゲ事件で捜査担当であった。

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