定年後の読書ノート
アラン幸福論、神谷幹夫訳、岩波文庫
深刻な病気になったら、我々はすっかり参ってしまうものだ。やがて病気の症状以外のことは感じなくなってくる。現実の不幸というものは突然やってくる。死を受けとめることが出来るのは、生きている人間だけである。そんな時は自分を満足させなさい。混乱が起きるのは、自分自身を考え過ぎるからだ。動物は絶対に不機嫌にならない。しかし我々はパニックになると不眠状態になる。不吉な空想にかられる。しかし、こうして思考力にかられるのは、人間だけだ。人間の危険な特権だ。気分に逆らおうとしても判断力では何も出来ない。君は先ず姿勢を正して、適当な運動をすることだ。礼儀正しく、背筋を伸ばし、ほほ笑む義務を自分に課してみるのだ。

事柄の勢いが我々を掴まえたら、我々に考える暇など呉れない。瞬間と次の瞬間とを結び付けている鎖は切断される。だから最大の苦しみも、微細なチリに過ぎない。しかも、恐怖感は催眠作用を持っている。現在だけの苦しみなんて、無に等しい。こわがることはない。死は一切を消し去る。人は死後の生を信じていない。生き残った人達の想像の中で死者達は死への道を歩み続ける。

我々は生きている自分についてしか考えない。人間には勇気がある。自分の手を使って生きている人は、死を乗越えられる。恐怖の中の意味のない動揺の外には、何も存在しない。人間は死を考えるや否や、死がこわくなる。考えるだけで何もしないと、試験前の試験のようにこわくなってくる。

心も、身体もリラックスさせるには、運動が必要だ。優しさの仕種を演ずると、憂鬱な気分も直る。お辞儀をしたり、ほほ笑んだりすれば、激怒は不可能になる。

情念から解放されるには、思考の働きではなく、身体の運動が我々を解放する。不安に悩まされている時は、理屈で考えることなど止めたまえ。それより、運動をしたまえ。その効果に君は驚くだろう。

幸福は細切れだし、不幸は本人の考え違いから起きる。怒りの進展を眺めていると、実に滑稽だ。情念を癒すには、心理学的詮索によって本当の原因を見つけることだ。パニックに際しては身体全体の力を抜くこと。恐怖を追い出すこと。身体の力を抜いて、冷静でいたら、苛立ちはすぐ消える。ささいなことが重大に思えてくる。不幸とか、幸福の理由には価値がない。好きな幸福を山のようにつくり出せば、憂鬱は小さくなる。我々は生きる素晴らしさをどうして友人達から学ばないのか、恥ずべきである。友人達をじっと見つめれば、不幸は次第に消していくことが出来る。

深刻な病気は、本人を悲しみに陥れる。君は自分が悲しんでいることに驚いてはならない。深い悲しみは、いつも、身体が病んでいることから出てくる。心の悲しみにはやがて平安が訪れる。人が不幸になるのは、自分の不幸をどうしても考えてしまうからだ。憂鬱症は、悲しみの味を賞味しているだけだ。痛い部分に手を触れているだけだ。ここから解放されるには、悲しみなんて病気に過ぎないと思いなさい。だから病気を我慢するように、悲しみを我慢すれば良い。思い巡らすことは止めて、祈りで、一種の想像力のアヘンを投与することによって、悲しさから免れなさい。運動が貴方を解放してくれる。反省など必要ない。不安も恐怖も病気だ。人間の身体は、考えに引きずられて悩むが、行動することによって吹っ切れる。

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