定年後の読書ノート

死について考えるーこの世界から次の世界へ、遠藤周作、昭62年光文社
引退生活とは損得計算優先の生活重点主義を捨てて、人生を直視・達観する生き方の毎日です。人生を考える上で最も大事なテーマは死の問題です。もし定年後も仕事を追い求める生活にまぎれて毎日を過ごしておられるのが現実なら、きっと貴方は死を考えること自体避けていられるのではありませんか。もしそうだとしたら、それは大変残念なことです。貴方に必要なのは死に対してちゃんとした考え方、姿勢を自分なりに確立して、余裕を持って、安定した気持ちで毎日を迎えられることです。

若い人は肉体的な感覚で世界を知ります。これは肉体の時代。中年になると肉体は衰え、心の時代、もしくは知性の時代に入ります。心や知性で世界をつかみます。老年になると、肉体も知性も衰えますが、知性の最も奥にある魂によって、次なる世界からくる発信音を、肉体の時代よりも、知性の時代よりもはっきりと聴くことが出来るようになります。外国旅行に行く前にその国を調べます。死後の世界から聴こえてくる発信音は、老年になるとそれがはっきり聴こえて来るのです。

死というのは、たぶん、海みたいなもの、入って行くときはつめたいが、いったん中に入ってしまうと……セスブロン遺作「死に直面して」より。

深層心理学では、人間は一度死を体験していると考えています。誕生とは母親の胎内の羊水の中で成育していた生命が、突然空中に放り出され、死の恐怖を味わって登場してきたものである。と考えています。

歳をとって上手な生き方とは、まず第一に皆の邪魔にならないように生きること。死に関しては、やはり修養を積んで、かっての武士のごとく従容として死ぬということが大事で、これが本当の日本人の死に方でしょう。欧米では若い時から死を人生の中心において考えるということですが、最近日本の若者は死をどのように教えられているのでしょうか。

今まで長い間、神は外にあるものとして人間がそれを仰ぎみるという感じでしたが、そうじゃなくて、神は自分の中にある大きな生命です。そして死によって人間はその大きな生命の中に戻って行く。それを復活というのです。復活は蘇生ではないのです。死んだ人間が突然息を吹き返したということではないのです。大きな永遠の生命の中に戻って行くことなのです。神は人間の外にあるだけではなく、自分の内にあって、自分を生かしてくれているものです。(この部分いかにも遠藤周作らしい書き方)

キューブラー。ロスは著書「死を受容する心理」の中で、死を前にする患者はまず怒り、その次に取引き、最後に諦めの心理へと変遷すると申していますが、諦めを希望と期待という積極的なほうへ持って行かせることが、デス・エドケーションの役目です。そこでは死は消滅ではなく、次の世界にいくプロセスだと知ることです。

以上が遠藤周作氏作品からの抜書き。読み終って感ずるのは、死後のプロセスに関し遠藤氏は意識してあまりこれに触れていない。この書き方では読者は宙ぶらりで、最後に再び常識世界に放り出されただけ。こんなことではこの随筆、読み終っても何の充実感もなし。例えば、私が書いた、「私たちにとって死は本当に恐怖でしょうか」の如く、もっと死のプロセスについて、真剣になって、突っ込んで書いてもらえないものか、本の題名が題名だけに、真剣さが足りないと思った。

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