定年後の読書ノート
キリスト教の精神とその運命、ヘーゲル著、伴博訳、平凡社
ヘーゲル青年期の神学論文。1795年〜1800年に初稿および改稿。この平凡社本の巻末に哲学者西研氏が適切な解説を書いておられる。

本書は「生き方と社会の在り方」を求めようとした文章である。ここでは2つの生き方が対称的にとりあげられている。1つは「正義」を求める生き方で、もう一つは「愛」を求める生き方である。これがイエスキリストに重ねられて描かれている。ユダヤ人は律法に従う正しい生き方だけを認めるが、それは「正当性の意識」が、他人に対する自己の優越性を得ようとするものであり、正義だけを唯一の価値とみなす貧しい生き方であり、もう一つは自ら進んで行なう愛と悦びの豊かな生き方をヘーゲルは対置して読者に示した。

正義を求めるということは、絶対という観念によって支配しようとするものである。絶対という権威は世界に対する憎悪から生まれ、権威に従う自分を絶対という力は保護してくれるというビジョンである。

しかし、この生き方を選んだ人間の中にも、例えば犯罪者として自分自身を破壊してしまった人間が、あらためて心底から他者との和解を求めるとすれば、この愛こそ人間解放の思想ではないかとヘーゲルはいう。

カントは何が正しいかを自ら洞察して、それにのみ従うこと、そこにこそ人間の自由と自律があり、真の道徳的価値があるという。ヘーゲルはカントの自律の思想も、しょせん「正義」を求める精神でしかないと批判し、イエスの思想の本質は、自律ではなく、愛にあるとした。ヘーゲルは正義の名によるテロルの問題に、直面していたのだ。

では「正義」の立場を越えるものとして愛の立場は、本当に現実をつくりかえ世界を救うことができるのか。社会を批判し、つくりかえていくための原理としては、愛も宗教もあまりにも弱過ぎる。そのことを確認したとき、ヘーゲルは宗教改革者としての道をすてて、哲学者への道を歩み出した。

哲学者西研氏の解説は実に的確に、この本の内容を把握しておられる。西研氏の読み方に導かれつつ、同時に名古屋哲学セミナーの講義録CDをじっくりと聞き直しながら、これから「キリストの精神とその運命」を深く味わっていきたい。

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