定年後の読書ノート
彼岸過迄、夏目漱石著、漱石全集第5集、岩波書店
作品は幾つかの話から構成されている。

大学(恐らくは東京帝国大学)を出たばかりの敬太郎は、目下一生懸命に職を探す求職者。ある日友人須永の親類、金持ち紳士田口よりアルバイトとして探偵を頼まれた。電車停留所で落ち合う男女を尾行し2人の関係を探る。しかしこれは金持ち紳士田口の遊びに過ぎなかった。敬太郎の周りには高等遊民なる遊び人が多い。友人須永もそうだし、探偵として尾行した須永の叔父松本もそうだし中国で得体の知れぬ仕事をしている森本もそうだ。競争社会から超然として生活している高等遊民達。漱石は高等遊民を決して否定的には描いていない。むしろこの人達を肯定的に描こうとしているようだ。

話は突然とんで、友人須永と金持ち紳士田口の娘千代子の恋愛。千代子を結婚対象者として認めつつ、思い切れない須永。挿話。千代子の腕の中で突然息を引き取った宵子2才。千代子の雰囲気に落着いた良家子女の安定さを見詰めながら、また千代子から須永への密かな思いを知りながら、また外国帰りの青年高木への嫉妬に苦しみながら、須永はどうしても千代子との結婚には決断出来なかった。須永市蔵傷心の関西旅行。そして、最後に叔父松本を通して須永は父親が女中に生ませた子であり、千代子との結婚は血統をまもる親類一同の思惑もあったことを知らされ、読者は割り切れなかった須永の気持ちも納得する。

この新聞小説が書かれたのは、大正元年、漱石45歳の時。修善寺吐血2年後、胃潰瘍再発、娘ひな子急死の翌年。そして漱石他界の4年前。すでに体力的にも漱石は長編小説を書き続ける精神集中力は無理だったのかも知れない。しかし、そんな体調下にありながら、漱石の筆は相変わらずの滑稽味を大切にし、読者への配慮も忘れない。漱石には、気張りや、冷たさや、叫びや背伸び、生真面目さや青臭さがない。ここが素晴らしい。人生の余裕を実感する。

自然主義における告白私小説に感ずるあのギラギラした真剣さが、漱石の作品にはない。ないところが素晴らしい。人生をしっかり見詰める、よく世間を知り抜いた大人の余裕みたいなもの、金持ちの懐の広さみたいなもの、これが読むうちに、自然と読者に伝わってくる。ここが、夏目漱石の作品の素晴らしいところ。

「彼岸過迄」も夏目漱石のこうした余裕みたいなものをあちこちに実感して、読み進んでいくと、ついつい作品の魅力に取りつかれてしまう。大作家の頭脳の深さに憧れを実感する。この気分は素晴らしい演劇を観終って昂奮し、背筋を伸ばして帰宅する時のような、そんな読後感。

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