定年後の読書ノート
黒い雨、井伏 鱒二 著、新潮文庫
昭和20年8月6日広島に投下された1発の原子爆弾は一瞬の内に何十万の命を奪い、被爆した人々のその後の生命も傷つけた。閑間重松・しげこ夫妻、その姪矢須子も広島市内で被爆した。話は被爆から数年後、矢須子の縁談話が原爆症のうわさ話で崩れていく中で、あの被爆前後の家族の足取りを8月6日より15日まで詳細に被爆日記という形で清書し、死期が迫った矢須子への鎮魂の願いでストーリーは進んでいく。恐ろしい原爆地獄をテーマにしたドキュメントであり、読む者に原爆の地獄がどんなに悲惨なものであったかを、今では文字を通じてしか、当時の実感は伝えられないもどかしさと面しながら、長編は進む。逆に、この小説を読んで、原爆投下後の広島の地獄を、生き残ったものは、思いだし、気持ちを新たに、原爆絶対反対の叫びを胸に刻むであろうと思う。

井伏鱒二の作品は、高校時代に読んだ「山椒魚」のみ。穴にまぎれ込んだ山椒魚が、次第に大きく成長し、穴から出られなくなってしまったある日、穴にまぎれこんだ小魚を穴に閉じこめてしまう山椒魚の話。その後、学生時代に反体制運動の苦しみから抜けさせなくなった気持ちを、ある友人は、「俺達は山椒魚みたいなものさ」とつぶやいたのが、何故かすごく印象深く耳に残る

井伏鱒二のユーモアは、どこか第3者的な位置に立つ達観した余裕がある。しかし、この小説にはそうしたユーモアのはしゃぎはない。しかし、いわゆる原爆投下地獄の数々の修羅場を描きながらどこか淡々とした息の長さというか、大人の余裕みたいなものが感じられる。

原爆症は癌の末期症状とそっくりだ。残酷な苦しみの中で、万が一奇跡が起きるかもしれないと、読者はそんな井伏流人生観に引き込まれてこの長編を読み進んでいく。井伏は500年も祖先を溯ることが出来る広島の旧家に生まれ、恵まれた青春時代を過ごす。早稲田に通う傍ら、日本美術学校で絵の勉強も重ね、才ある文士として教育を受ける。

左翼文学隆盛風潮時代雰囲気の中で井伏氏の言葉が面白い。

「私が左翼的な作品を書かなかったのは、時流に抗して不貞腐れていた為ではない。不器用なくせに気無精だから、イデオロギーのある作品は書こうにも書けるはずがなかったのだ。生活上の斬新なイズムを創作上のイズムに取り入れるには大きく人間的にも脱皮しなくてはならぬ。勇猛精進なくして出来ない。第1、私は「資本論」も読んでいなかった。未だに読んでいない。」と。井伏鱒二氏の姿勢、心構えを正直に語った言葉である。

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