定年後の読書ノート
癒しとしての死の哲学、小浜逸郎著、大国社
タイトルからして、あまり手にしない本の一つ。小浜氏は、1947年生まれ、横浜国大工学部卒、「オウムと全共闘」等マイノリティの世界を書いている。この本は、最初脳死と臓器移植、癌告知、安楽死について判りやすく解説、それぞれの問題点もきちんと整理している。極めて理解し易い書き方で好意が持てる。しかし、時々「オヤッ!?」と首を傾げる箇所が突然飛び出してくる。それはラディカルな実存哲学的思考で、バタイユに名を借りて、「エロスは建設的であり、アポロ的であるより、(個体)破壊的であり、ディオニソス的であることによって、はじめてその本質を満たす」など、およそ我々にはあまりにも抽象的、観念的過ぎる言葉が登場、小浜氏はがらりと変身する。この変身が集中的に展開されるのが、ハイデッカーの死の哲学の章である。どうしてあれほど論理的な展開をしていた小浜氏が、「エロス」論登場で突然昂奮し錯乱するのか理解に苦しむ。もし小浜氏がこの自己陶酔さえ克服出来れば、この人は、柳田邦男、立花隆の世界に肉迫出来る人となるだろう。

哲学者と死について、小浜氏は次のような書き出しで入っていく。

「哲学者は死についてどう考えたのか。とにかく哲学と聞くと、深遠、難解な観念のこね回しでないかと敬遠されがちである。しかし、たいへん傲慢な言い方になるが、少なくとも私が把握できた範囲では、死についての哲学者たちの考察は、思ったほど複雑ではなく、かみ砕いてしまうと意外と大したことはない。つまり、結局は誰でも考えそうなことを言っていて、親近感さえもてる場合が多いのである。それは結局死という問題が、不可解でも何でもない単純な事実であり、誰にとっても当たり前の現象であることからきているのだ。」と。小浜氏ここでは実に素直に感じたところを書いている。次にそれぞれの哲学者の死の考えを小浜氏の筆でつまみ食いしてみよう。

ソクラテス「哲学者は魂をかき乱す肉体的条件から出来るだけ離れ、ただひたすらに魂に寄り添う、だから肉体からの魂の解放である死は怖くない。魂の不死、不滅を強調する。」

エピクロス「死は生きている人間には経験不可能。死を思いわずらうことは馬鹿げている。考えたって何もならない先のことでくよくよするより、この生を大事にしろよ」

源信の「往生要集」「人間の身体は生きている間から不浄であり、死んでからは一層我慢ならない。だから生に拘泥せず、現世の執着から早く断ち切ってしまいなさい」

モンテニュー「死が私たち生の条件なのだ。個体が滅んでも、全自然はいささかも痛痒を感じない。自然にとって個体などどうでもいい。個体の死は排泄であると考えれば良い」

ショーペンハウワー「個体の死は滅亡である。それが生命一般にとって、不可欠の条件である。生まれる前のことや、死んでからのことなど、探ってみても何の意味もない、」

小浜氏はこのひとつひとつの哲学者の考えに、解説と反論を添えて整理している。しかし、何故かそれがハイデッカーに到るとトタンに混乱するのは、前記した通りである。

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