定年後の読書ノート
森鴎外のことー日本文学史序説よりー加藤周一著、加藤周一著作集15、平凡社
徳川以来の漢学継承の上に、西洋社会と文化を模範とした明治の時代を、森鴎外は「近代化」と「明治天皇制官僚体制」の社会と分析、自分自身を時代の人格化として生き抜いていった

鴎外森林太郎は、明治維新に先立つこと6年前、石見国典医の家に生まれ、幼くして漢学・洋学を身につけ、現在の東大医学部=東京医学校を卒業、陸軍軍医として4年間ドイツに留学、その後、日本陸軍の最高官僚の位置にまで上りつめ、1922年他界。彼のヨーロッパ近代社会の知的背景を身につけた作品の数々は、日本文学史に大きな影響を与え続けた。

彼がドイツで経験した若き激しい恋愛は、彼を取り巻く明治天皇制官僚体制に基く家族主義、出世主義によって放棄させられた。しかし、実生活の上で切り捨てられた恋愛経験は、当人の心の中で忘れられたのではない。それどころか、彼の文学的活動の原動力となり、実生活の上での妥協を、文学的想像力に転化し、結婚後1年もたたぬうちに、小説「舞姫」の裡に蘇った。

鴎外が正面から国家権力に反抗したのは、ただ一度、死の3日前、友人に口述した「遺書」の中においてであった。彼は宮内省や陸軍の側からの一切の栄典を拒否し、ただ「石見人森林太郎」として死にたいと言い切り、「如何ナル官権威力」もこれを侵すことは許さないと言いきったとき、彼は若き日の恋愛において彼の私生活の中にまで侵してきた「官権威力」を想い出していたのではなかろうか。

森林太郎は、明治天皇制官僚国家の枠組みをそのまま受け容れていたことは実生活はもとより、思想面でも明らかである。実生活においては、妥協に妥協を重ねた彼自身の人生において、彼が果たし得なかったもうひとつの可能な人生を、晩年徳川時代の3偉人の伝記を作品化することによって、密かに見詰め直そうとしていたのではなかろうか

加藤周一・日本文学史序説は、氏のライフワークである。日本文学史序説に結晶されたものすごい量の古典読書力、作品考察力、時代分析力は、他の如何なる作家をしても不可能な大事業である。この日本文学史序説は、膨大な日本文学史体系そのものであり、私の力では残念ながら、通読は極めて困難な作品のひとつである。

言うまでもなく、森鴎外こそ、いろいろな面で加藤周一氏ご自身と相通ずるところがあり、それだけにこの日本文学史序説で、加藤氏は森鴎外をどう把握しておられるのか、大変興味があったし、この度こうして親しく拝読させていただいたのは大変良かった

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