定年後の読書ノート
読書術、加藤周一著、光文社カッパブックス
昭和37年、加藤周一氏は、将来テレビが普及しても、読書人口は減らないだろうと予測していた。何故ならば、テレビはあくまで受身、読書は能動的、人を外出から屋内へ引き戻すのはテレビ、屋内の人は情報を更に詳しく知りたいと本を読むと予測いた。しかし加藤氏の予測は当たっていない。益々読書人口は減少している。

本は寝て読めば良いと加藤氏はいう。精神が緊張するとき、身体はリラックスしていた方が良いと加藤氏はいう。外国語のマスターは満員電車の中が良い。何故なら、ただ黙々と打込む物が欲しいのは電車の中だと加藤氏はいう。

読書百遍意自ずから通す。「古典はおそく読め」と加藤氏はいう。遅く読めば遅く読むほど、古典は面白くなると加藤氏はいう。

論語、聖書、ギリシャ哲学、仏教経典は4つの古典である。しかし、マルクス、エンゲルス、レーニンの本も人類の古典であり、1度は読むべきだと加藤氏。

古典文学に対するほんとうの興味は、現代文学を読みあさって、それにあきてきたときに始めて興味が出てくる。そして自分に判らない本は読まないことだ。

文章を正確に理解する為には、まず単語の意味を正確に理解していなければならない。もし用いられている言葉の意味を一つでも忘れるとすれば、幾何学を理解することは不可能である。本を読んで解るということの出発点は、何よりも先ずその本の中に用いられている特殊な言葉の定義をはっきりと頭に入れる努力をはじめにしておくこと。

定義を理解するために、いくらか時間がかかる。それを憶えこむためになおさら時間がかかる。しかし一度そうしておけば、その領域のすべての本を比較的容易に、比較的正確に読むことが出来るようになるし、そういう第1歩の手続きをはぶいておいてとりかかると、いつまで読み続けても、つねにじれったい感だけが残り、つまり素人にはなんにも分からないということになりかねない。しかし、特殊な言葉が定義されて用いられている本は、じつは、かえってわかりやすい本だといっていい。

読書生活では言葉の問題がその第1歩。読書生活での言葉は、大工道具みたいなもので、切れない道具で良い仕事は出来ない。積み重ねは、言葉をだんだん自分のものにしていく。その次が経験の積み重ね。一つ一つの概念を正確に理解し、論理を正確にたどれば、原則として、全ては理解出来るはず。

歴史や多くの社会科学の仕事は、その著者の人間的経験から完全に切り離すことができない。抽象的な言葉で提出されている政治論や社会論も、その背景には著者の経験や理論がある。自分にとって必要な本は難しくない、そう言い切れる。

全ての言葉の定義を正確に理解し、それを憶え、論理を綿密にたどり、たえず具体的な事実を、抽象的な叙述の背後に想像していけば、難しい本も読み取ることが出来る。

「存在は本質に先行する」。たばこを手にとって、ここにたばこは存在する、本質とはたばこか、商品かは自分が決める。こうして具体的に考えると難しい言葉も判ってくる。

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