定年後の読書ノート
日本文学の歴史、ドナルド・キーン著、徳岡孝夫訳、中央公論社
ドナルド・キーン氏:1922年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学にて日本語専攻。米国海軍翻訳官。1951年近松門坐衛門で博士号。現在コロンビア大学名誉教授。氏は今月2003−U号の学士会会報にも「文学者が歴史を書く」と題し明治天皇に関する講演を載せている。

読んだのは「日本文学の歴史」全17巻中の近代・現代篇夏目漱石を論じた第11巻である。氏の作品は、日本文学の世界では常識となっている作者身辺項目も含めて、全て始めての海外読者に関連データを判り易く提供してくれる。江藤淳の夏目漱石論とは違って読みやすく、理解しやすい。

慶応3年に江戸で生まれた夏目漱石は、5男3女の末子。養子に出てまた戻り、感受性の鋭い子になった。寄席に通いユーモアを学ぶ。漢文の才能に恵まれた。一高では英文学を志望、後年の漱石は西欧文明を嫌悪した。

西欧文明から漱石は近代個人主義思想を学んだ。漱石が興味を持ったのは、スペンサーとジョン・スチュアート・ミル。東大英文科2人目の卒業生。ホイットマンを論じた学生時代の論文に、「革命主義を政治上で実行せんと企てたるは仏人なり、之を文学上に発揮したるは英人なり」と。

東大卒業後、早稲田大学で「方丈記の英訳」を講義しているが、誤訳は極めて少なく、漱石の英語力は極めて高かった。しかし西欧とのハンディキャップはその後の厭世主義に結びつく。

1894年肺結核、鎌倉円覚寺参禅。1895年松山。子規に俳句を学ぶ。1896年熊本5高。1900年英国留学。ロンドン生活は孤独と憂鬱。1903年帰国、一高と東大でラガディオ・ハーンの後任。シェクスピアの悲劇を論じて彼の講義は人気高まる。1906年「我輩は猫である」をホトトギスに発表。江戸の講釈師の口演調。風刺が好評。「坊ちゃん」。生一本の健全さ。「草枕」俳句的小説。1907年東京朝日新聞へ招聘。「虞美人草」大衆からは喝采、漱石は不満。1908年「三四郎」くせのない知識青年の独善。「それから」正気と狂気。1910年「門」劇的な出来事がない筆の確かさ。「彼岸過迄」高等遊民。1914年「こころ」漱石成熟期最高作品。1915年「硝子戸の中」人生のはかなさ。1916年「明暗」未完小説。

最後にドナルド・キーン氏の漱石論。「漱石文学の中に見られる底知れぬ苦渋と不安は、漱石を駆って狂気の境に近づかせたほどの疎外感が、当時の日本の知識人だれしもが持っていた東と西から引き裂かれる痛みからではなく、その両者を自己の中で和合しきれなかった漱石個人の不適合の自覚から出たものであることをうかがわせる」。「漢詩の中に、漱石はときとして、小説の中には見出しえなかった心の平安をえたようである。」

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