定年後の読書ノート
性格、宮城音弥著、岩波新書
初版は1960年だから、かれこれ50年前の作品ということになる。当時は心理学ブームだった。戦後のマルクス主義社会科学には、民衆動向を把握しきれないジレンマがあり、これに対しドイツナチス登場を許したヨーロッパ民衆を心理学の面から捉えたフロムや所謂フロイト学派の論文に人々は注目し、心理学からのマルクス主義の肉付けが志向された時期があった。それが、この本の背景にもある。

書き出しが面白い。人間はつねに他人がどんな行為をするか、どんな考えをもち、どんな感じを抱いているかということを予感し予想して行動している。我々は、意識的、無意識的に、他人の行動の予測を行なっており、これを正確に行なおうとするのが心理学の仕事である。と。

性格はどんな条件でつくられてゆくか。アドラーは、人間は劣等感を克服しようとして性格が作られると主張する。この本では、個人心理学のアルフレッド・アドラーを殊更にクローズアップして紹介はしているわけではないが、自分はアドラーに絞って読む。

人間の性格を形成する社会的条件のうち、もっとも重要な場所が家である。アドラーはフロイト以上に家族による性格形成を問題とした。アドラーによると人間は生まれて、まもなく劣等感を懐きやすく劣等感をもつコドモは、無意識的に、これを補償しようとする動きが生ずる。

ここで文化について、面白い定義付けが入る。文化とは、代々伝えられ、集団に受入れられている標準的な生活様式である。文化は人間がつくったものであるが、同時に我々は文化によってつくられる。文化は個人の習慣的性格をつくり、役割性格を与えるから、文化の性質に応じて、個人の性格のタイプがきまる。マルクスは社会で人間がつくられることを主張し、きまった社会で育つかぎり、人間の考え方または性格が、その社会に特有なものになることを主張し、個人の習慣的性格が社会でつくられる点を強調した。フロムは、近代社会において人々は自由を与えられるようになったが、一方では孤独と不安におとしいれられ、かえって「自由からの逃避」を求める。これでファッシズムが出現したと主張した。

そして最後にこう結論付けられている。人間は、生物であると同時に社会的存在である。心理学は、必要に応じて、その一側面を抽象して人間精神の探求を行なってきたし、性格学も、ときにこのような抽象を行なうこともある。しかしながら、タテの一面を見て、タテを語ることはできない。性格に関する科学は生物学的立場と社会的観点を統一するところに成立するであろう。と結んでおられる。

ここをクリックすると目録に戻ります