定年後の読書ノート
プラトン 哲学者とは何か、納富信留著、NHK出版
著者は1965年生まれ、東大卒、慶大助教授、プラトン対話編30編は、近現代哲学を読む際には避けられない難解な術語や前提知識は必要としない。読者は直接対話編にあたることが出来る。しかしプラトン哲学はけっして容易ではない。見かけの平易さとは逆に、プラトンと私たちの間には幾重にもギャップがある。

いつの時代でも、人間の根源的な欲望や無知からの傲慢に現代人は囚われて生きている。と納富先生は最初に書いている。ソクラテスは何故死刑となったか。この背景には、ギリシャ・アテネをめぐる民主派と寡頭派の戦いがあった。ペロポネソス戦争でアテネ降伏、30人政権寡頭派は崩壊、民主政回復、寡頭派弾圧の嵐の中、ソクラテスは処刑された。

ここで「政治」とは何か。政治とは権力をふるうことである。私的野心を目指す、目指さないは別としても、公的利益を追求するのが政治である。富や権力の追求の中で、本当に大切な事柄に目をそらし、欺瞞を助長していった勢力の中には、かってソクラテスの弟子達もいた。ソクラテスは、かっての弟子達が背負うべき罪を自らも背負うことに決して躊躇しなかった。しかし哲学が本当の意味で人を導くことが出来たるか。プラトンは鋭く追求し、対話編を書き上げた。

ソクラテスやプラトンは、魂にふれる真実というものがあると前提する。哲学する心だけがこの真実に近づくことが出来ると考える。対話とは、この過程である。ソクラテスが毒杯を仰いだのも、哲学者として魂に通ずる真実を守るという一言に通じている。

「より善き生」という理念を見据え真の哲学を追求し続けたのがソクラテスであり、プラトンであった。自らの不知は、けっして自分ひとりでは判らない。というのは、自己の完結した世界にひきこもることこそが、思い込みという最大の無知をひきおこす。異質な他人との出会い、外からの問いかけによりこの思い込みを打破する対話こそが、哲学者の生を成立させる。

ギリシャ自然哲学を唯物論哲学とすれば、プラトン哲学は観念論哲学と称すべきであろう。しかし、現代のわれわれから見ても、はるかにプラトン哲学である観念論哲学の方が深い思索と、生き方として我々の魂に響くものがあるのは何故だろう。こうした歴史的経過を知らずして、観念論はブルジョア哲学だ、唯物論こそ労働者の真の哲学だと教えられ、自分自身もそう信じてきたが、こうした、安易で、軽薄なお題目で哲学なるものを眺めてきた自分達の過ちを今は恥かしく思う。

著者はプラトン対話編への入門過程として、先ず「ゴルギアス」、正と不正、生き方の選択を最初に読んでみてはどうか、次に初期の対話「ラスケ」「リュシス」「プロタゴラス」「メノン」等を読み、「勇気・友情・思慮深さ」を学ぶべきだろう。魂や正義については「パイドン」「国家」は必読であり、ソクラテスに興味があれば「ソクラテスの弁明」「クリトン」を読むべきであると最後に読者にサジェスションを残している。

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