定年後の読書ノート
読書力、斎藤孝著、岩波新書
斎藤先生曰く、「日本ではいつのまにか、本は「当然読むべき」ものから「別に読まなくてもいい」ものへと変化してしまった」と。しかし、先生曰く。「読書はしてもしなくてもいいものではなく、ぜひ習慣化すべき「技」だと頑固に考えている。」と。斎藤先生が頭にくるのは、「読書をたっぷりしてきた人物が、読書など別に絶対しなければいけないものでもない、などと言うのを聞いたときときは、はらわたが煮えくり返る」。きっと斎藤先生も中沢某の「人間通」なる本を読んであたまに来たのだろう。

斎藤先生が設定する「読書力がある」ラインとは、「文庫百冊・新書50冊」。

面白いのは、読書歴。必ず大人の読書に入った境界線の本というものがある。自己形成のプロセスと読書遍歴は重要な相関関係にある。文庫本100冊を読み終え、新書に入っていく頃が、丁度大人の読書に入っていく境界線ではないかと斎藤先生は言う。文庫本には文学系が多く、新書は知識情報だと先生は言う。ここが高校から大学2年の頃。しかし最近は学生が新書を読まなくなって、新書を30代から50代が主に読んでいる。先生曰く。新書を読むことが、読書力の重要なラインだ。新書は、より大きな知識体系への入口になっている。

本を読むときは、著者は自分ひとりに直接話かけているような感じで読む。高い才能を持った人間が、大変な努力をして勉強し、ようやく到達した認識を、自分に丁寧に話してくれる。本を読んだとは、本の要約が言えることだ。読書力のある人は、短時間に的確に本の要約をつかむことが出来る。

最後に斎藤先生素晴らしいことを言っておられる。

読書は「知能指数」でするものではない。むしろ、本を読んだ蓄積でするものだ。取りたてて足が早い必要はない。毎日走って、少しづつ距離を伸ばしていけば、かなりの人が長距離のランニングに耐えることが出来るようになる。と。

読書は、まさに「継続は力なり」がリアリティをもつ世界だ。量をこなした人は、それに相当するだけの読書の力量がある。

ここをクリックすると目録に戻ります