定年後の読書ノート
敦煌―砂漠の大画廊―NHK取材班、井上靖、シルクロード第2巻
本の前半に井上靖氏が、「敦煌と私」を書いておられる。「私は学生時代から西域関係の書物を読むのが好きで、西域の入口である敦煌附近の都邑については、いつからともなく、それぞれのイメージをもつようになっていた」と。この随筆を読んだ後、NHK取材班の河西回廊、敦煌1個月取材記を読むと、敦煌が実に光輝いてくる。

敦煌への道は、北京から空路蘭州へ、蘭州から列車18時間で酒泉へ、酒泉かわ安西を経て、敦煌までジープの旅で、3日間、実に北京から5日間の旅だ。

この河西の地を一変させたのは、漢の武帝。武帝は衛青、雲去病の名将をして、匈奴を討たしめ、それを遠く西北方の追いやる。西域経営と対匈奴作戦の前進基地として、河西4郡を設けている。莫高窟には1千の石窟があったと記されている。今は492窟、まだまだこれから発見される。敦煌千仏洞を世界的に有名にしたおびただしい古文書、経巻類の詰まっていた17窟。

329窟「説法図」の壁画は、アメリカ美術史家ウォーナーによって、削り取られ、目下ボストン、ホッグ美術館にある。NHKは、映像にてこの壁画再構成を試みる。

同じく大英博物館には、スタインが持ち去った膨大な敦煌宝物が、ベルリン国立美術館にはル・コック等が持ち去った膨大なコレクションが、パリのギメ美術館には敦煌文書が、ウルミタージュ美術館コブロフが持ち去った壁画が貯蔵されている。

明らかに帝国主義の、中国蹂躙の歴史的証しである。

実は自分も、大谷探検隊が、敦煌莫高窟から持ち去った壁画を韓国国立博物館で見た。

また、上海博物館にもあった。自分もそうした意味では、敦煌の実物を2度見たことになる。

敦煌壁画と法隆寺壁画がどれほど文化史的に相通ずるものがあるか、それは1本の筆の動きからでも伺われる。西域芸術こそ、日本の芸術の泉である、自分はいつもそう思っている。

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