定年後の読書ノート
流砂の道―西域南道を行く、シルクロード第4巻、日本放送協会
崑崙山脈の北側の道を西域南道と往古の昔より呼ばれていると井上靖氏が最初に書いておられる。タクラマカン砂漠を横切る2つの道は、通称天山南路、崑崙北路と呼び慣れてきているので、自分にとっては、南道といえば、天山南路を想起して混乱しやすい。

飛行機は、ウルムチからアクス経由、ホータンまで小型飛行機が飛んでいるようだ。勿論定期便ではない。砂漠の嵐で4〜5日続けての欠航は頻繁におきている。

平山郁夫氏の作品に「流砂の道」と題された120号の大作があり、阿久比町福祉会館ロビーに飾られている。家内の実家に行くときは、必ずこの絵を散歩途上に見に行く。この絵をじっと見ていると、シルクロードへの思いが、自分の中で大きく燃えてくるから楽しくなる。

楼蘭遺跡には、1900年ヘディンが、イギリスのスタインが、大谷探検隊の橘端超が、出かけている。しかし1914年スタイン第3次探検隊以降、外国人として、NHK取材班が始めてここに入る。この近くには、中国の核実験軍事基地があるので、中国も極めて神経質であり、外国人はなかなか入れない。

今から1月前まえのテレビで、ホータン河の増水による水路延長で、タクラマカン砂漠の中でホータン河とタリム河が合流するテレビを見た。ホータン河は、崑崙山脈の雪解け水が増水する5月から10月まで砂漠を横切ってタリム河に合流、冬期は、河は一切水は流れない。しかし宇宙衛星からの写真で、砂漠の温度を調査すると、冬も伏流水がタクラマカン砂漠をホータンからアクスに向けて、流れていることが判明、テレビは面白いとすごく感動したことを憶えている。

ニヤ遺跡も、ミーラン遺跡も、楼蘭遺跡も、かっては近くに崑崙山脈の伏流水による河が流れていたから、都が作られ、人が住み、城壁が築かれたことが判っている。しかし今はすっかり砂漠の中に埋没している。伏流水の流れに沿って、オアシスも動き、人の生活も動く。ここが、自然と人間の複雑な葛藤を見るようで面白い。

現在オアシスにはウイグル民族が大半で、文字通りウイグル自治区になっているが、かってはインド・ヨーロッパ語族のゾロアスター教を信ずるイラン人や、インド人、仏教を信ずる中央アジア諸民族が雑多に住んでいたことを思うと、歴史の流れの複雑さに興味が高まってくる。

ヤルカンドの近くには、目下大規模な石油基地開発が進められている。ここにも、アメリカ石油資本の顔がのぞく。しかし何と言っても、中国は大きい。資源も豊かだ。そうした広大な中国に、シルクロードという歴史的曙の大ストーリが今や次第に現代文明の前に、その姿を終えようとしていくのが辛い。

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