定年後の読書ノート
ソクラテス以前以後、F.M.コーンロード著、山田道夫訳、岩波文庫
ソクラテスに関して、1932年コーンフォード氏はケンブリッジ大学公開講座で4時間の講義を行った。この歴史に残る名講義から一部をここに抜書きしたい。
  • 当時小アジアのイオニア諸都市は西洋文明の頂点に位置していた。神話は根拠のない迷信の所産ではなくて、真実を口にする術の一つであった。
  • 科学としての原子論が常識を超えて進んだのは、物体を構成する原子は無条件に不滅不変たるべしという要求においてであった。「事物の本性」に対応するものであった。
  • 存在するもの、或いは生起するものすべては、この物質的要因によって説明された。物質的実体の本性についての理論として見た場合、原子論は見事な仮説だった。
  • 魂もほかのすべてと同様原子から成るのだと答える。
  • ギリシャ人の知性は、遅かれ早かれ、そのような神神が実在しないことを発見しなければならなかった。
  • ソクラテス哲学は自然学のこのような唯物論的動向に対する反抗なのである。精神世界を発見するために哲学は、外的自然における物質的実体の探求を打ち捨て、人間の魂の本性をめざして目を内に転じなければならなかった。これが「汝自身を知れ」というデルポイの神命をたずさえてソクラテスが追考した革命だったのである。
  • ソクラテスという人物の核心をなす特性は、そもそも何を知ることができて何を知ることが出来ないかを、そして根拠が吟味されないまま知識をよそおうことがどれほど危険かを嗅ぎ分ける秀徹した感覚にある。
  • 幸福とは何なのか、ソクラテスの時代以後、この問いは古代諸学派によってされてきた問題だ。幸福を快楽と同一視するか、社会的成功や名誉や名声だとするか、知識や知恵だとするかによって、人間は大雑把に3つのタイプに分類することができた。これらの内でどれかは単独で幸福を構成することができるのだろうか。もしそうなら、それはどれか。あるいはそれらはみんな完全な生のうちに含まれる構成要素なのだろうか。この問題をソクラテスはどう解決したのだろうか。
  • 幸福はソクラテスが魂の完成と呼んだもののうちに見出されるべきであり、人々が要求する他のすべての目的は厳密にはそれら自体において価値を持つものではないとソクラテスは考えた。もしそれらにすこしでも追い求めるだけの価値があるとすれば、それはただ魂の完成の手段としてである。
  • 「魂の完成」ということでソクラテスが意味していたのは、我々なら精神的完成と呼ぶものであったろう。このことのうちにソクラテスは人間の本来的関心事を見た。これが、ふつう「徳は知なり」と訳される有名なパラドックスにおいてソクラテスが善と同一視したところの知識である。自知の完成こそが人生の真の終局目的であるところの魂の認識、と呼んでもよい。ソクラテスが最高に偉大な哲学者のうちに数えられるべきなのは、じつにこの意味での魂と、精神の希求にもとずく道徳とをかれが発見し、それまで行われていた社会的強制の道徳にとってかわらせたということによる。

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