定年後の読書ノート
その年の私、加藤シヅエ氏他8名、朝日新聞社
1901年から2000年までの百年間を、加藤シヅエ、横山隆一、澤地久枝、水上勉、樋口恵子、関川夏央、落合恵子、中山千夏、鶴見俊輔氏等9名で、2年おきから1年ごとに、各年の思い出をエッセイ風に短文でまとめたもの。かって「週刊20世紀」連載コラムを1冊にまとめたもの。

この100年を9名の人が振返る。ずば抜けて面白いのは、加藤シヅエ氏。すごい人だったのだなあと改めて敬服する。時代の本質を見抜く目が素晴らしい。経歴。元社会党国会議員。1897年東京生まれ。女子学習院卒。三井鉱山技師で男爵の石本憲吉氏と結婚。夫の任地、三井炭坑で女性労働者の悲惨な状況に衝撃を受ける。19年夫と渡米、「産児調整活動」のサンガー夫人を知る。44年、石本と離婚。加藤勘十と結婚。

この人の夫、石本憲吉という人はどんな方だったのか。こんな記述がある。1919年、当時の夫、石本恵吉の考えによって万事行動していた私は、2人の幼児を実家に預け、先に渡米していた彼の許へとアメリカ行きの船に乗りました。私の父は親心から、若い女性を1人で洋行させるのは忍びないと、同じ船でニューヨークまで付き添ってくれました。1ケ月程かかったのです。夫は当時、レーニンが社会主義革命に成功していた事実に感動し、自身も社会主義者のようになっていて、「観光や買い物をするなら来なくてよい。自立した女性になるための勉強をすることだ」と厳しい考えでした。夫の借りていた部屋で私を迎えてくれたのは大量の南京虫でした。

次の横山隆一と澤地久枝は読みごたえがある。しかし、水上勉以降戦後を語る樋口恵子、関川、落合恵子、中山千夏はまったく面白くなかった。さすが、最後の鶴見俊輔は、読みごたえがあった。

時代を見る目は、澤地久枝が素晴らしい。ノモンハンではこう書いている。

ノモンハンではソ連軍の優秀な火力、本格的な近代戦体制に対し、日本側はずさんな作戦計画、敵の過小評価、兵力の逐次投入などによって建軍以来なじめての大敗北を喫した。連隊長クラスの戦死や自決を多くだし、兵達の犠牲も数知れず、全滅の部隊も多く出した。ノモンハンの拙劣無残な戦闘は、なんの戦訓も残さず、司令官の責任も問われなかった。その結果が、ガダルカナル、ニューギニア、インパールその他で同質の成算なき作戦が切り替えされることになる。と書いている。これは澤地が後程書物等で獲た知識ではあるが、ここにこうして書くということは、澤地の価値観の中にこの歴史観が位置づけられていることを示している。故に自分は、澤地の歴史観を評価したい。

日米開戦とヒットラーのモスクワ攻撃放棄が同日であったことをきっちりと書いているのも澤地の歴史観である。

12月8日の対米英開戦のラジオに、両親も同居中の父の友人もほとんど反応しなかった。私はほとんど関心をよびおこされていない、夜、満州国総務長官武部六蔵の演説が放送されたとき、「ベーエー(米英)ではよくわからないな」と父が言い、そんなものかと思ったことを記憶している。米国も英国も私は知らなかった。12月8日、ヒトラーは東部戦線休止(モスクワ攻撃放棄)を指令。日本が世界を敵とした日、戦争の流れは微妙にかわろうとしていた。

歴史は、時間を経ることによって次第にストーリがはっきり見えてくることは事実だろう。しかし、生きる民衆にとって、時代の大きなストーリは必死で把握、今時代はどう動いているのか、きちんと見詰められる目をもって生き抜きたいものだ。

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