定年後の読書ノート
人間通、谷沢 永一著、 新潮選書
ブックオフで1冊50円で売られていた。新本のままである。東の渡辺昇一、西の谷沢永一、どちらも反共評論の世界では親分的存在である。この本の中にも、鷲田小弥太氏の「大学教授になる方法」=「現代の学生が主体的に学ばないのは、現行のカリキュラムでは学ばなくてもよい学ぶ必要がないと考えているからである。「知」には「知識」と「知恵」があって「知識」が高度化専門化していくほど「知恵」が必要となる」と簡潔に鷲田氏の本が紹介されている。この紹介文に鷲田氏は感激、以後谷沢氏を持ち上げハシャギが始る

谷沢氏の専門は、書誌学。確かに本を読むのは上手い。曰く「今時の若者が本を読まないのは嘆かわしいと耳にする。しかし難解な古典に振り向かないと若者を罵るのは、今に始ったことではない。昔は教養派の一部インテリが知的虚栄心にかられて古典を読んだだけのことで、今の若者が劇画漫画に熱中するのと大して変りない」と。曰く、古典のどの部分が如何なる理由で現代人の役にたつのか。古典こそ文明の源流だというが、それは脅迫であって、川の源流が知られていなくても、流れの恵みには支障はないと谷沢先生。

一方では読書は技術だとのたまわれる。この技術を身につけるには、自動車教習所で20万円投じて運転技術をマスターすると同じように、経済の本を10万円、歴史の本を10万円合計20万円投資すれば、もうそれで経済にも歴史にも明るくなるし、読書の技も身につくとおっしゃる。まず買え。これが谷沢流読書入門。谷沢先生の本は50円。そんなにきばらなくとも、いつでも安く手に入るよ。

読み進んでこれは詰まらぬと思ったらどんどん途中で捨てても良い。義理だてして最後まで読むな、捨ててしまえと谷沢流読書法。50円の本ならすぐ捨てられるけれど、僕はまだ本を捨てたことはない。

曰く。書評に重きを置き書評文化を高めるのに最も効あったのは昭和10年代の戸坂潤であるがかっての書評はある1冊の内容を要領よくかい摘まんで紹介するのを眼目とした。昔は如何に簡潔な要約を提示するかが腕のみせどころであった。

今はある1冊をだしにしてどれほど巧く話をもってゆき、評者がどれほど眼光けいけいたる洞察力の持主であるか見せびらかす識見展示会となった。と。

後記に面白いことが書いてある。「勉強して役に立つ分野があるとしたら歴史、それもあんまり詳しい細部に拘る必要はない。人間とはどういう風に行動する習性があるのか、その大筋を見定めるだけで十分。歴史について考えるときの決め手は、うんざりするほど沢山な過去の事象の中から、現代にもなお関連する生きた要件を探りあてる観察眼でしょう」と谷沢式歴史とは何か

最後に学者になりたいと心から願う人は別として、一般社会に身を投じて生きて行く為には、学問などまったく不要であると谷沢氏。ミネルヴァの梟は夕暮れに飛びたつと言います。学問は日が落ちてから姿を表すものだという意味の皮肉でしょう。事柄が一段落して何かの手だてを講ずるには遅すぎるという頃になってしゃしゃり出てるのが学問。つまり済んでしまったことのほじくり返しが学問です。と谷沢先生。いつか書いたようにどうしてこの人が大作家のごとく後光がさしているのか、鷲田氏のハシャギの意味が判らない。

最後にこの本のタイトルが人間通、人間の重みも人によって随分違うものだと再認識

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