定年後の読書ノート

豊かさとは何か、暉峻淑子著、岩波新書
1988年、まだ日本が現在ほど行き詰まっていなかった15年前、暉峻先生は金持ち日本に対して警鐘を鳴らしていた。先生はドイツでの留学経験から日独比較して、どうして日本の労働者は自宅1軒満足に手にすることも出来ないのか、どうして老後の不安に追われているのか、読者に問い掛ける。

当時、時の総理中曽根康弘は福祉の推進は、労働者を怠け者にすると放言する。しかし日本は世界各国がうらやむ程お金持ちで、外貨を湯水の如く海外リゾート等に投資していたのに、労働者階級はけっして豊かでゆとりある生活を過ごしていたわけではない。それどころか、労働者はもうくたくたに疲れていた。それだけにどうして同じ資本主義国でもドイツと日本とではこんなにも生活のゆとりが違うのか暉峻先生は模索する

生産の増大は、よき社会をもたらす最終的な手段どころではではなく、社会悪や貧困を解決する有効な手段でもない。一般市民にとって、競争は落ちこぼれを生む不安の種であり、人々を自己防衛に走らせる不安材料でさえある。数多くのなくてもよいようなガラクタ製品がどうして必要なのか、欲望をかきたてるためにあくどい宣伝や売込みが何故必要なのか、欲望は一時的に充足されても、やがてもっと欲望は刺激され、拡大していく。

ところが生活自体は企業経営とちがって胃袋の大きさには限界があるから、本来の生活に必要な一定の品物が充足したら、いずれ胃袋は落ち着き、自分らしい楽しみや生き甲斐を求めようとする。

我々は本当は労働時間の短縮要求だけではなく、労働そのものの中に豊かさを体験したいと望んでいる。しかしそれは、社会全体の流れを変えることなしには、実現できないことも知っている。そのためにまず労働時間の短縮を願い、人間らしい生活をするゆとり、思考するゆとり、感じるゆとり、地域社会を作っていくゆとり、政治参加の時間を持つゆとりを得ようとしているのだ

日本は経済大国であるという。しかし豊かなゆとりある国ではない。貧富の格差や不公正が拡大しているだけでなく、基本的人権さえも守られていない。

本当の豊かさを実現するためには、まず、各人が、自分自身の豊かな人生の実現とは、どんな生き方なのかを、理論的にだけでなく、実践的にも知らなければならない。経済価値と人間の豊かさとの関係を統一するために、どんな生き方、どんな社会が好ましいかを、真剣に情熱を持って探求する必要がある。

<この暉峻論文を読んで感じたこと>。マルクスが1843年パリに出て市民社会」を論じて、「独仏年誌」に「ユダヤ人問題によせて」を発表し、始めて市民社会=資本主義を批判する。そこでマルクスははっきりと経済が政治の土台である言い切った。その後、1859年「経済学批判」を発表するまでの13年間マルクスが追求し続けた問題とは、暉峻先生が取り上げたテーマであり、マルクスはヘーゲル哲学を批判し、思弁的法哲学の思弁性を批判克服し、思弁から実践へと進み、アダムスやリカードの古典派経済学を批判し、私有財産が疎外された労働を生み出し、人間の類的本質を社会的存在から疎外すると明確にし、マルクス経済学を確立していく。しかる結果より考察して、今後暉峻淑子先生がどのようにこの経済と社会の問題を考え続けられるのか、暉峻先生の研究成果を見つめていきたいと思う。

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