定年後の読書ノート

[趣味]の社会学、木津川 計著、日本経済新聞社
谷沢永一の息がかかった本はどうも最初から本能的に嫌悪感を感ずる。

中野孝次「清貧の思想」を取り上げて、谷沢節が大見得をきる。欲望は野放しにせよと。そこでのたまう。人間は、昼間は誠実でなければならず、夜は遊び人でなければならない。これが現代人の自己実現であり、自己完成なのである。

この哲学こそ正に谷沢節。この谷沢節の真面目な実践者は申すまでもなくあの哲学者。鷲田小弥太のオッサン。この哲学者、谷沢注射をブツーとぶち込まれて、おかしくなってしまった。その後どうしているのだろう。曰く、貧しい国ならいざ知らず、モノのありふれる豊かな国で清貧の生き方が浸透しては、資本主義の見通しは暗くなる。禁欲主義がはびこっては資本の側は不利になる。人々が「モノの豊かさ」から「こころの豊かさ」へと考え方の重心を移しつつあることも資本の論理に立つならば、喜ばしいことではない。この筆者は鷲田小弥太同様、谷沢教室の優等生らしい。谷沢節を恥かし気もなく堂々と書きまくる。小生が引用しているのはすべて原文

曰く。ヨーロッパ近代の資本主義を突き動かした原理はプロテスタンティズムの禁欲精神であった、とはマックス・ウエーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で明らかにしたところ。つまり、働き、利潤をあげよ。だが奢多的消費に使うな。だから貯まる。それを利潤のために投資する。という循環になっていた。しかし、もはや宗教心は薄れ、プロテスタンティズムの倫理は色褪せ、放擲された。奢多的な消費を圧殺しては、消費景気が沸かない。大量生産・大量消費時代の到来は個人消費の活発さに支えられて、なおも資本主義の回転軸を加熱させる。つくっても売れない状態が継続しては、課題である内需拡大の足は引張られる。消費景気を活発にさせたいと資本の側は熱望する。忍耐型の人間よりは消費型の人間があふれてほしい。私たちはいま、どんな人間像を資本によって期待されているのであろうか。とこの谷沢教室優等生である筆者はかくも愚問を読者に投げかける。よくも、しゃあしゃあと真面目に問うものだ。

そして曰く。今期待されているのは、「アリ型人間」ではなく「キリギリス型」人間である。明日を思い患うのではなく、今日を楽しんで快楽的に生きる、そんな生き方を期待されているのだ。節約したり、買い控えをするのではなく、消費市場へおもむき、買いまくる。貯金をはたき、生命保険を解約してでも高額商品をどんどん手に入れる。お金が底をついたらサラ金に走りこんで調達するのだ。人生を細く長く生きるのではなく、太く短く、執着せず、未練をなくし、楽しめるだけ楽しむ刹那的、享楽的な生き方を選択してためらうことがない。そうすれば叶えられる個人消費の回復、内需の振興ではないか。

そして最後に筆者曰く、清貧を好む人は時代の流れにとり残された、みじめな少数派に過ぎない。

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