定年後の読書ノート
哲学がわかった、鷲田小弥太著、日本実業出版社
鷲田氏の作品は、面白い。ある意味で、真正面から取り組む姿勢は、真面目そのもの。他方、はしゃぎ過ぎに現れるように、極めて単純。以下氏の筆のまま。

ミイラとりがミイラになり、大学院に入る頃、私もいっぱしのコミュニストになっていました。ところが、運動と実践の中で、疑問がふくれあがってきて、マルクス主義は間違っていると考えるようになりました。40才を過ぎていました。それからが大変でした。自分が選択したマルクス主義の理論と実践を、自分の手で「清算」しなければならないからです。清算にほぼ10年かかりました。

哲学を知らなくとも、人生を送ることは出来ます。硬直せず、順応性に富んだ生き方が出来ます。哲学をする人は、かえって重苦しい人生を送ることになるかも知れません。

人間って、自分が拒否しているもの、無視しようとしているものに、惹かれてゆきます。人間が単に感じるだけでなく、考える存在であることと、関係するようです。

人間は、集中して無我夢中で考えているときが楽しい。何よりもいいのは、考える楽しさに限りがないとということです。美味しいものを食べる時は、すぐに満腹になってしまい、たいして食べることはできません。人間の最上級の欲望充足は、思考で味わうことです。

哲学するとは、どんな困難な問題、苦悩に満ちた人生を考えるときも、考える快楽をもち続けることが出来ることです。

よく生きることは、よく考えることを通じてしか獲得できません。人間は物事を3度満足することが出来る。期待の喜びと実感の喜び。しかし最も味わいが深いのは、味わったあとの「記憶」を味わうこと。記憶は自分次第でいくらでも輝かすことが出来る。

人生を長く生きたものの人生の味わいとは、よき過去をどれだけ持つかにかかっている。

歴史は事実の積み重ねではない。書かれたものです。自分を考えるとは、自分の物語を持つことです。人類の歴史とつながっている私の歴史の生命(人生)の不可思議さに驚くことは良いことだ。

哲学をやって身につくことは、どんなことにも好奇心を持つようになること。あらゆるものに関心をもつばかりではなく、その原理を求めるところまで進もうとする。

哲学は、風変わりな人間たちが自分達だけにわかる符丁のような言葉をもちいて自慰行為に耽っているとみなされています。これはいつの時代もそうでした。人は自己を認識しようとする存在である。哲学をしっかり身につけると、人生に広がりが出来る。人生の陰影がわかる。人間との付き合いに深みが出来る。

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