定年後の読書ノート
これで最後の・繊維つれづれ、山本裕彦著、近代文芸社
東洋紡の先輩であり、名門御幸毛織の社長を勤めておられた著者山本裕彦様より、新刊早々の本著作を寄贈戴いた。

「これが最後の」と一筆入った「繊維つれづれ」シリーズは「四季折々・繊維つれづれ」「七つの章の・繊維つれづれ」の2冊が既刊されており、さらに「WOOLから見た天然繊維と合繊」「わたしの痛快なガス談義」を含めるとこの度は第5冊目となる。本の外観は前作からの雰囲気がそのまま続いているが、内容はこの1冊が今までの4作品とは全然違い、一度に密度も内容も様変わりし、著者の力の入れ方が、前作と比較して全然違っている。

著者は「繊維の森」という言葉を使って、こうして次々とエッセイ集を発行される気持ちを、散策の情景に例え、一服の絵の様だと書いておられる。実は前作3冊を拝読して、この最終作に入ると、平坦な野原を歩いてきた路筋が、突然大木が生い茂る昼なお暗い森林に迷い込んだようなすごさを実感する。この本は既刊本のように、気楽に、つれづれなるままに読んでいてはとても読み切れない。覚悟して、おそるそそる第1章より読み進んだ。

第4章 多様化する「消臭・抗菌加工」に入ると、先ず匂いとは何か、臭覚神経の最新研究が紹介される。匂いの類型化、芳香・酸臭、焦臭・脂臭。なぜ匂いを含む空気を鼻から吸うと匂いを感ずるか、鼻腔の感覚器官の構造と機能の紹介、匂いの感覚メカニズム解析、人間の臭覚の不可思議な特徴がまとめられる。そしていよいよオジサンの匂い、ノネナールの紹介。資生堂が高砂香料工業と共同研究したノネナールの正体とは、汗腺エクリン腺とアポクリン腺、このアクポリン腺に直結する皮脂腺に含む脂肪酸が過酸化脂質によって酸化分解して放たれるアルデヒドの一種ノナネールこそがオジサンの匂いである。この近くまでくると、フーッと溜息がでる。頭がくらくらする。しかしまだまだ。

ノネナールの正体、過酸化脂質は極めて不安定で、しかも他の分子と反応し易いフリーラジカルが含まれているため、様々な低級脂肪酸などの匂いに還元させてしまう。この過程で生成発生するのが、不飽和アルデヒドノネナールである。では消臭するにはどうすべきか。真因源を消去・悪臭を分解。消臭剤には銀・銅などの入った無機系のものか、有機化合物か・天然系のもか、さらに化学的消臭法・物理的消臭法・生物的消臭法・感覚的消臭法、ここで登場するのが光触媒の酸化チタニウム。

こうした消臭剤を繊維に如何に練り込むか、練り込み法の一つとしてシャインアップ、次に後加工方法としてのルミマジック、こうして話はどんどん広がる。これはあたかも、「街道をいく」を執筆する司馬遼太郎氏の如くで、懐いた好奇心は絶対に追求せずにはおられなく、とことん追求後はきちんと自分自身の文章にして自分のものにしないと追求が終ったとはしない、ここが山本さんの好奇心のものすごいところ。

これだけの高い水準にまでなってくると、例えそれなりの事前知識があっても、ちょっとつれづれなるままに、そこはかとなく このエッセイを楽しむということではなくなってくる。

繊維に対する、エッセイ風に描かれた専門教科書の様相を帯びてくる。いま、繊維技術士センターではCPD研修と称して、各専門分野の技術士が、自分の専門分野の最新技術を、技術士を相手に相互研修会を開いているが、正にそこで選択されるテーマにぴったりな内容がこの本には一杯あり、ということは、この本の読者層は、日本でも有数の繊維技術者を読者層として対象にされておられるとしか考えられない。

とにかく専門以外の人には極めて難しいテーマがずらりと並んでいて、おいそれと気のむくまま、ひまにまかせて読み流して楽しむ本という性格の本ではない。むしろ、この本に記した赤エンピツの横線は、最新のJTCC発行繊維総合辞典を横において、じっくりとその内容を解きほぐさないと、いい加減に読み飛ばしてしまうには、あまりにも、「繊維の森」は大木、銘木がうっそうと生い茂っている。

これだけの大作を、定年後の短期間に書き上げ、発行された山本氏ご自身が、今まで培われた膨大な蓄積がなければ、とうていかなう仕事ではない。これはすごい、よくぞここまでと心より著者、山本裕彦氏に敬意を表す1人である。

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