定年後の読書ノートより
日本共産党創立80周年記念講演、不破議長、志位委員長、来賓 2002/7/8

2つの世紀と日本共産党、中央委員会議長 不破哲三

1933年、25歳の若い党中央委員として逮捕され、戦後1945年10月まで12年にわたって続いた宮本顕治さんの獄中闘争、法廷闘争は戦時下のそういう不屈の闘争の典型的な記録の一つであります。あの戦前の時代には、日本共産党を除くすべての政党が戦争推進の陣営に加わりました。しかし歴史は命懸けでその旗を守った日本共産党こそが、20世紀の世界と日本の歴史の本流に立つものであったことを立証したのです。

ソ連は世界で最初の「社会主義国」だということ、またファッシズムと軍国主義を打ち破った世界の民主的な陣営の柱のひとつだったことを看板にしていました。しかしその実態は、スターリンの支配のもとで、とっくに社会主義にむかう軌道からはずれていました。ソ連の現実は、他国の併合や、支配を追求する覇権主義の体制と、国民を抑圧する専制主義の体制に変質をとげていたのです。しかし、そういう本体が「社会主義」という看板のもとに隠されていたために、私たち日本共産党も、この勢力の実態を正確に認識し、その横暴とたたかう立場を確立するまでには、一定の時間と経験が必要だったのです。

1991年に、このソ連共産党が崩壊を遂げた時、我が党はこれを「歴史的な巨悪の崩壊」として歓迎する声明を発表しました。日本共産党は戦後早い時期に自主独立の立場を真剣に確立し、相手が如何なる党や政権であろうと、日本の運動に干渉したり、他国の主権を侵犯したりするものにたいしては、断固として対決する立場をとってきたこと、とくにソ連覇権主義にたいして、そのいかなるあらわれも許さない態度を貫いてきたこと、ここに、私たちがこの時期に元気に活動してきたなによりの根源があります。

国政の焦点と日本共産党 幹部会委員長 志位 和夫

小泉政治とは何だったか。それは、危機に陥った自民党が「自民党を変える」とか「自民党をぶっつぶす」という、空手形を乱発することで、国民の支持をなんとかつなぎとめようとする、いわば「究極の延命作戦」でした。その手法はなにか。単純なものです。「抵抗勢力」という架空の敵をつくる。それとの「対立」を演じる。そして自分が架空の「ヒーロー」になる。だいたいこれが筋書きでしょう。そういうまやかしの手法で政治をもてあそんで、国民を欺いたその罪は重大だといわなければなりません。

普通に生きる国民の先頭に、 俳優、演出家 米倉 斎加年

いま、平和があるのは、政治家が頑張ったという声がありますが、私は「違う」という。声なき声が、叫び続けてきたからこそ、危うい平和は、今にも壊れそうになりながら、こうして護られているのです。その先頭に立っていたのが日本共産党です。

ここをクリックすると目録に戻ります