定年後の読書ノート
人はなにで生きるか、トルストイ著、筑摩文学全集84
ロシア民話を、トルストイは、愛と死と神をテーマに短編に仕上げている。

寒い冬のある日、貧乏な靴屋は酒に酔って、家路をふらつきながら急いだ。教会の前に一人の青年が、凍え震えて佇んでいた。このまま素知らぬ顔で見過ごそうと靴屋は急いだが、とうとう声を掛けてしまった。青年を家に連れて帰った。貧しい我が家には、酔っ払って帰った亭主をなじる妻が待っていた。妻は腹立たしげに青年に八つ当たりしたが、ふと飯を食わしてやろうと声をかけた時、青年はニッコリと微笑んだ。その後、青年は靴屋の弟子となって6年が過ぎた。その間、靴屋の評判は弟子のお陰でどんどんと上がった。上客も来るようになった。ある日、双子の娘を連れてきた百姓女から、不幸な双子を育て上げた話を聞いて突然青年が光輝き、天の使いに戻った。どうして青年が地上に降りて6年もじっとこの日を待っていたか、ここからトルストイの愛と死と神の話が始る。

神は3つの言葉を謎として青年に課していた。第1の言葉、人間には愛がある。これは他人から教えてもらうことではなく、自分で悟らなくてはいけない。第2の言葉、人間に与えられていないのは何か、、人間の肉体にとって必要なものは何か。命、命だ。命はこのまま明日も続くなんて神様は約束していない。そして第3の言葉、人間は誰でも自分に対する自分の心づかいで生きていると思ったら大間違い、愛によって生きているのだ。

人間はみな、自分で自分の身を案ずるから生きられるのではなく、人間に愛があるからこそ、生きられる。人間には、自分の身を案ずることによって生きるのだと言うふうに思われるかも知れないが、それはそう思うだけで、実際はただ愛だけで生きるのだ。愛によって生きる者は神によって生きる、自分のうちに神をもっています。なぜなら神は愛だから。

トルストイの教え。人間は愛がある。人間は明日をも知れない運命にある。人間は自分の心づかいで生きているのではない。愛によって生きているのだ。

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